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ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+68

□ 意思決定とコンピュータ

 

これらのことすべては、コンピュータの時代の今日でもいえる。

コンピュータは、意思決定者、少なくともミドルの意思決定に取って

代わるといわれてきた。

数年のうちに日常の決定のすべてをコンピュータが行うようになり、

遠からず戦略的な決定さえ行うようになるといわれた。

しかし現実には、コンピュータのおかげでエグゼクティブは、今日その場

しのぎの対応として処理するものを、やがて本当の意思決定として行わ

なければならなくなる。すなわちコンピュータのおかげで、これまでは

反応するだけだった人たちのきわめて多くが、真の意思決定者、真の

執行者とならなければならなくなる。

コンピュータはエグゼクティブにとって力のある道具である。

しかしそれは金づちやペンチと同じである。人にできないことはできない。

人にできないことができる車輪やのこぎりとは違う。

コンピュータは、足したり引いたりすることは人よりもはるかに速く行う。

しかも、道具であるために、飽きたり、疲れたり、残業代をとったりしない。

コンピュータは、ほかの道具と同じように人の能力を増加させる。

しかしコンピュータはほかのあらゆる道具と同じように、一つないしは

二つのことしかできない。できることの範囲はきわめて狭い。

コンピュータの出現によって、今日、その場しのぎの対応として行って

いるものを、本当の意思決定として行わなければならなくなるのは、

まさにこのコンピュータの限界のためである。

コンピュータの強みは、論理的な機械であるところにある。

それはプログラムに組まれたことを正確に行う。迅速かつ正確に行う。

ということは、あくまでも愚鈍なるものとしてそれらの仕事を行うと

いうことである。論理はもともと愚かである。コンピュータは単純で

明白なことしかできない。

これに対し、人は論理的ではない。知覚的である。ということは遅くて

いい加減だということである。しかし人は聡明であり洞察力がある。

応用力がある。すなわち人は、不十分な情報から、あるいは情報なしでも、

全体像がどのようなものでありうるかを推し量ることができる。

プログラム化していないことを考えることができる。

 

従来の経営管理者が現場対応で処理している典型的な問題の例として、

在庫や出荷に関する日常の意思決定がある。

例えば支店の営業部長は次のようなことを知っている。

顧客Aは、厳しい工程管理のものに工場を動かしており、納入予定日に

納入しないと大変なことになる。顧客Bは、原材料や資材の在庫に余裕

があり、納入が数日遅れても切り抜けてくれる。顧客Cは、すでに不満を

もっており、口実さえあれば他社に切り替えようとしている。

さらにまた工場の誰に頼めば、便宜を図って出荷してくれるかを知って

いる。そのような経験上の知識に基づいて、支店の営業部長というものは

現場の状況に対応し仕事を処理している。

 

コンピュータはこれらのことは何ひとつ知らない。あるいは少なくとも

これらのことを顧客や製品に関するデータとしてインプットしておかな

ければ何も行いえない。

コンピュータにできることは、プログラムどおりに反応することだけで

ある。コンピュータは計算尺やキャッシュレジスターを超える意思決定は

行えない。できることは計算だけである。

したがって、コンピュータによる在庫管理には原則が必要である。

在庫についての基本方針が必要である。そしてわれわれは、在庫についての

基本方針に取り組むや、直ちに、行うべき基本的な決定は単なる在庫管理に

ついてのものではないことを知る。大きなリスクを伴う事業上の決定で

あることを知る。

在庫とは、納入期限、生産日程、資金の固定化に関わるリスクとコストの

バランスの問題である。

 

● 愚鈍(ぐどん)

 

判断力・理解力がにぶいこと。頭が悪くのろまなこと。また、そのさま。

「二等と三等との区別さえも弁 (わきま) えない―な心が腹立たしかった」〈芥川・蜜柑〉

 

● 論理的

 

論理にかなっているさま。きちんと筋道を立てて考えるさま。

「―に説明する」「―な頭脳の持ち主」

 

● 知覚的

 

思慮分別をもって知ること。「物の道理を―する」

 

 

この続きは、次回に。

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