P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-45
従業員には、給料の少なくても三倍のコストがかかる。
働く場所、暖房、照明、ロッカーが必要である。
材料、消耗品、電話、監督者間で必要である。
従業員まわりでは、まさに諸々のコストが発生する。
もちろん廃棄に対しては強い反対が出てくる。しかし成果のあがらない
もの、希望のないもの、報われないものを継続すべきことを正当化する
ための議論が、言い訳以上のものであることはあまりない。
よく見られる議論は、もっと成長させなければならない。縮小どころでは
ないとの主張である。しかし、成長とは成功の結果である。
市場が欲し、購入し、代価を支払うものを提供した結果である。
資源を有効に使用した結果である。リスクを賄うために必要な利益を
あげた結果である。GMは、八つの車種のうち六つを廃棄するか、完全に
つくり替えた。大きな成長はその結果だった。
詭弁が使われることがある。脂肪と筋肉を混同し、多忙と成果を混同する。
しかし、成果を生まない活動は財産を食いつぶす。単なる負担である。
肥満が人にとって負担であるのと同じである。
成長する経済のもとにあって、常にマネジメントは成長志向でなければ
ならない。成長とは機会を利用することである。成長とは不適切なことを
行って量を得ることではない。適切なことに専念することによって得る
べきものである。
そしていかなる企業にも、推進すべき優先的領域でもなければ、廃棄すべき
優先的領域でもないという製品、サービス、活動、努力がある。
第三の領域として無数の平凡なるものがある。
● 今日の主力製品。しばしば生産的特殊製品。
● コストが大きく、不釣り合いなほどの努力によってしか節減できない
コストセンター。
● 手直し用製品、すなわち、何らかの大きな変更や修正を加えるならば、
価値あるものとなりうる製品、サービス、市場。
これらの平凡なものに関する原則は、機会の領域を犠牲にしてまで人材を
使ってはならないということである。機会の領域が必要とする支援を与えた
あとも人材に余剰があったときにのみ、平凡なものに考慮するべきである。
一流の人材が平凡なものに割り当てられているときには、それらの人材が
機会の領域においてさらに大きな貢献を行えないときにのみ、そこにとど
めるべきである。
実際には、それら平凡なるものに対し、人材を追加すべきことは稀である。
通常、それら平凡なるもののうち、その使用している人材に値するものは
生産的特殊製品だけである。その他の平凡なるものは、ほとんど常に、
ほかのところで使えばさらに生産的となる人材を浪費している。
したがって、それら平凡なるものは、現在もっている人材、ないしはより
少ない人材ですまさなければならない。すなわち乳を搾り取られる立場に
置くべきである。成果を生むかぎり生かされ、乳を絞り取られる。
しかし育てる必要はない。
この続きは、次回に。