「道をひらく」松下幸之助 ㊽
・おろそかにしない
人から何かを命ぜられる。その命ぜられたことをその通りにキチンと
やる。そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと
報告するかどうか。
命ぜられた通りにやって、その通りうまくいったのだから、もうそれで
よいと考える人。いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は
一応キチンと報告しなければならない、そうしたら命じた人は安心する
だろうと考える人。その何でもない心がけ、ちょっとした心のくばり
方のちがいから、両者の間に、信頼感にたいする大きなひらきができ
てくる。
仕事には知恵も大事、才能も大事。しかし、もっと大事なことは、些細と
思われること、平凡と思われることも、おろそかにしない心がけである。
むつかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、本当の
仕事をする姿ではない。
些細なこと、平凡なこと、それを積み重ね積み重ねきて、そのうえに
自分の知恵と体験とを加えてゆく。それではじめて、あぶなげのない
信頼感が得られるというものであろう。
犀の河原の小石はくずれても、仕事の小石はくずれない。
● 犀の河原
子どもが死後行き,苦を受けると信じられた,冥土の三途(さんず)の
川のほとりの河原。子どもは石を積み塔を作ろうとするが,大鬼がきて
これをこわし,地蔵菩薩が子どもを救う。塞の神(道祖神)信仰と
地蔵信仰の中世以来の習合とみられ,仏典には典拠がない。→地蔵
・プロの自覚
プロとは、その道をわが職業としている専門家のことである。
職業専門家とは、つまりその道において、一人前にメシが食えると
いうことである。いいかえれば、いかなる職業であれ、その道において
他人様からお金をいただくということは、すでにプロになったという
ことである。アマチュアではない。
芸能やスポーツにおいては、プロとアマとの区別はきびしい。
真にプロに値するものでなければ、お客はたやすくお金を払っては
くれない。お客は慈善の心で払いはしないのである。だから、プロを
志すことは容易でないし、プロを保持するための努力もなみたいてい
ではない。
甘えてはいられない。学校を出て会社や官庁にはいる。はいれば月給が
もらえる。月給をもらうということは、いいかえればその道において
自立したということであり、つまりはプロの仲間入りをしたということ
である。もはやアマチュアではない。そうとすれば、芸能界やスポー
ツ界の人びとと同じく、またプロとしてのきびしい自覚と自己練磨が
必要となってくるはずである。
おたがいにプロとしての自覚があるかどうか。
● 慈善
情けや哀れみをかけること。特に、恵まれない人々や被害にあった
人々に経済的な援助をすること。「―を施す」「―家」
● 自己練磨
「自己研磨」とは、自分自身のスキルや知識に磨きをかける、という
意味。 辞書には載っていない言葉ですが、自己啓発や学問、転職など
のトピックでよく見聞きするはずです。2020/07/28
平和に 幸せに暮らすための 大切な約束なのだ
法律やルールを おたがいに きびしく守ろう
なすべきこと なすべきではないことの区別を
大人の 子供も ひとしく心に刻みつけてこそ
この国の政治も 経済も 文化も 教育も
民主主義の国にふさわしい 能率的な
いきいきとした 発展の道を歩むことができよう
この続きは、次回に。