「道をひらく」松下幸之助 ㊿+1
・手を合わす
うどんの値段は同じであっても、客を大事にしてくれる店、まごころ
こもった親切な店には、人は自然に寄りついてゆく。その反対に、客を
ぞんざいにし、礼儀もなければ作法もない、そんな店には、人の足は
自然と遠ざかる。
客が食べ終わって出て行く後ろ姿に、しんそこ、ありがたく手を合わ
せて拝むような心持ち、そんな心持ちのうどん屋さんは、必ず成功する
のである。
こんな心がけに徹したならば、もちろん、うどんの味もよくなってくる。
一人ひとりに親切で、一ぱい一ぱいに慎重で、湯かげん、ダシかげん
にも、親身のくふうがはらわれる。
そのうえ、客を持たせない。たとえ親切で、うまくても、しびれが
切れるほど待たされたら、今日の時代では、客の好意もつづかない。
客の後ろ姿に手を合わす心がけには、早く早くという客の気持ちが
つたわってくるはずである。
親切で、うまくて、早くて、そして客の後ろ姿に手を合わす—-この
心がけの大切さは、何もうどん屋さんだけに限らないであろう。
おたがいによく考えたい。
・何でもないこと
何事においても反省検討の必要なことは、今さらいうまでもないが、
商売においては、特にこれが大事である。
焼芋屋のような簡単な商売でも、一日の商いが終われば、いくらの
売上げがあったのか、やっぱりキチンと計算し、売れれば売れたで
その成果を、売れなければなぜ売れないのかを、いろいろと検討して
みる。そして、仕入れを吟味し、焼き方をくふうし、サービスの欠陥を
反省して、あすへの新しい意欲を盛り上げる。これが焼芋屋繁盛の秘訣
というものであろう。
まして、たくさんの商品を扱い、たくさんのお客に接する商売におい
ては、こうした一日のケジメをおろそかにし、焼芋屋ででも行われる
ような毎日の反省と検討を怠って、どうしてきょうよりあすへの発展
向上が望まれよう。
何でもないことだが、この何でもないないことが何でもなくやれるには、
やはりかなりの修練が要るのである。
平凡が非凡に通じるというのも、この何でもないと思われることを、
何でもなく平凡に積み重ねてゆくところから、生まれてくるのでは
なかろうか。
この続きは、次回に。