続「道をひらく」松下幸之助 ㊿+1
● 何が起こるか
何が起こるかわからない。右をむいて左をむいて、上を見て下を見て、
注意に注意を重ねても、それでも何が起こるかわからない。
それが人生というものであり、それが世の中というものである。
まして今日のように時代のテンポが早くなり、世の中が、そして世界が
複雑に入り組み合ってくると、全く予期もしない事が次々に起こって
くる。
何が起こるかわからない。まずそれだけの覚悟を、お互いにしっかり
持っておきたい。きょうはきのうのつづきで、あすはきょうのつづきで、
だから毎日が事もなくつづくとは、何の保証もないのである。
大切なことは、何が起こっても、まず素直にその事態を受けとめると
いうことである。捉われた心、私心ある眼では、事態の本質を見誤って
しまう。
平穏無事な時ならば、いささかの私心もやむを得ないとしても、大事な
時の捉われた心は、それこそとりかえしのつかない一大事をひき起こす。
今日ほど、素直な心の大切な時はないのである。
● 心あらば
心あらば、心の痛むことのあまりにも多いきょうこのごろ。お互いの
この町この国で、そしてまたお互いの身近な人びとのつながりのなかで、
何かと事多く、何かと心痛む毎日のように思われる。不測の事故に、
夢ならばさめよかしと心底ねがう人もあろうし、世の人の移り変わりを
憂うるままに、心はやって前後のわきまえを見失っていく人もあろう。
心あらば、ともかくも心痛む日々なのである。
いつの時代、いつの世にも、事の絶えまはなく、そして憂いの絶えま
もなかった。それが世と人の歩みの常でもあろう。
そうとすれば、こんにちただ今に生きるわれわれもまた、それがいか
にきびしくとも、辛かろうとも事多き姿からひとり避けて通ることは
ゆるされない。
やはりお互いにわが身を戒め、激する心を静めつつ、人間としての真の
いたわりとはげましをもって、素直に手をつなぎ合い、素直に心を寄せ
合わせなければならない。
そして心あらば—-心なき無責任なわざだけは、お互いに戒め合いた
いのである。
この続きは、次回に。