お問い合せ

続「道をひらく」松下幸之助 ㊿+2

○ 長月(ながつき)

 

● こんにちは

 

日射しにはまだ夏の名残があるけれど、それでも吹く風、打ち寄せる

波に、いつとはなしにヒヤリとした気配を感じて、思わず裸の肩をす

ぼめ両手で抱えこめば、わが掌の温か味がしみこむよう。そう言えば

西空に沈む太陽も、急にその足を早めたようだ。

ガランとして水泳場。砂浜のところどころにポツンポツンと人の影。

はやばやと店を閉めた海辺の茶店のスピーカーから、何やら音楽だけ

が流れてくる。

誰が聞いているのであろう。そしてあの夏の盛りの雑とうはどこへ

行ったのであろう。

急に人恋しくなる。誰でもいい、今ここに誰かいてくれたら、ほほえ

みながらこんにちはと言いたい。その人もきっとこんにちはと言うで

あろう。

それだけでいい。それだけで心がほのぼのとする。街へ帰ったら、今

まで素知らぬ顔ですごしていたあの人にも、この人にも、こんにちは

と言ってみよう。思い切って言ってみよう。びっくりするかも知れな

いけれど、ほんとうはあの人も人恋しいのかも知れない。ニッコリする

にちがいない。こんにちはと言うにちがいない—-。

 

● 鈴をふる

 

チリーン、チリーン。どこかで誰かが鈴をふっている。

夏の終わりの夜のひととき。うちわを片手に星空を仰げば、蚊取り線香

のほのかなゆらめきのなかで、どこからか、かすかに鈴の音がきこえて

くる。チリーン、チリーン。

それは、しのび寄る秋の気配に、早くも鳴き始めた虫の声ではない。

何のためかは知らないが、たしかに誰かが、鈴をふっているのである。

鈴をふりながら、その人は何を思い出しているのであろう。長い人生、

さまざまのことがあって、さまざまの思いが入り乱れて、その入り乱

れた思いのなかで、時に激してくるわが心を、鈴の音にひたすら打ち

静めているのであろうか。

チリーン、チリーン。心にしみ通るようなそのひびきは、あれこれに

とらわれつつすごしてきたわが心を、次第に素直に洗い清めてくれる。

そして、小さな是非善悪で明け暮れてきた日々が浄められ、人間として

の深く大きくひろやかな道がひらけてくる。

次第に遠ざかりゆく鈴の音。誰がふっているのか。あるいは自分が

ふっているのか。—–

 

■ きよめ【清め/浄め】

 

1.よごれを除き清浄にすること。

 

 「まだ—もやらぬ火皿マッチ(シガー)の骸(から)と共に

蘆花不如帰

 

2. 罪やけがれなどの不浄取り除くこと。また、その役割をするもの。

   「—の火」「お—」

 

 

この続きは、次回に。

トップへ戻る