続「道をひらく」松下幸之助 ㊿+15
● 暖衣飽食(だんいほうしょく)
母も子も、食べるものが何にもなくて、ひもじさに泣くわが子をあや
しつつ、われはたとえ飢えに倒るとも、この子だけはと祈る思いです
ごしたあの日々。
遠いむかしの歴史物語ではない。つい三十年ほど前のお互いの体験の
こと、そんなときの掌一ぱいの白い米粒は、ダイヤモンドの輝きより
も尊く、ありがたく、うすくうすく引きのばしたその粥を小さなその
口に与える。
時代は大きく変わった。飢えに泣く子もなくなったし、寒さにふるえ
嘆く親子もなくなった。飢餓の日本から、まさに暖衣飽食の日本である。
だが暖衣飽食は、知らず知らずのうちに甘えを生み出したり、おごり
を生み出した。そして素直さを失い、謙虚さを失い、感謝の心を失って、
自然と人と物への愛情をも失った。かつての日のダイヤモンドの米粒も
今は無造作に捨て去られ、あり余る食べ物を前にしつつ、互いに不信と
不満と不平で口角泡をとばす。このツケはどんな形でかえってくるのか。
物心ともの新たな飢餓日本になるというのか。
他人事ではない。
■ 暖衣飽食
暖かい衣服をまとい、飽きるほど食べること。 転じて、ものに不足
することなく、なに不自由ない暮らしをすることをいう。
『孟子(もうし)―滕文公・上』に、「人之有 レ道也、飽食暖衣、
逸居而無 レ教、則近 二於禽獣 一」とあるところから。
■ 口角泡をとばす
唾を飛ばすほど激しく議論をするさまを表現することば。
この続きは、次回に。