「生き甲斐」「働き甲斐」「やり甲斐」を考える ㉟
今日は、朝からのんびりしています。
午前5時に起床、新聞-日経新聞、読売新聞、朝日新聞を読んでおり
ます。
今日、気になった記事は、「ウィーワーク経営破綻」「コロナ融資
不良債権6%」です。
時間がありましたら、「今日の気づき」でご紹介したいと思います。
—「生きがいある人生のために-自分の非」—
人間は神様ではないのだから、一点非のうちどころのない振舞など
とうてい望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。
それはそれでいいのだが、大切なことは、いついかなるときでも、
その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い
覚悟を持っているということである。
(中略)
それにしても、近ごろの人間はあまりにも脆すぎる。修練が足りな
いというか、躾ができていないというのか、素直に自分の非を認め
ないどころか、逆に何かと抗弁をしたがる。そして出処進退を誤り、
身のおきどころを失う。とどのつまりが自暴自棄になって、自分も
傷つき他人も傷つけることになる。これでは繁栄も平和も幸福も望め
るはずがない。
自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる—–この心がまえを、
つねひごろからおたがいに充分に養っておきたいものである。
–—「生きがいある人生のために-勤勉の徳」–
身についた技とか習性とかは、これは生あるかぎり失われはしない。
たよりになるのは、やはり自分の身についた技、身についた習性。
だから、何か一つでもいいから、よき技、よき習性を身につけたい
ものであるが、なかでもいわゆる勤勉の習性は、何にもまして尊い
ものに思われる。
勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間のいわば
一つの大事な徳である。徳であるかぎり、これを積むには普段の
努力がいる。
—「生きがいある人生のために-知恵の幅」–
賢い人と愚かな人と、その間にはたいへんな差があるように思うけ
れど、もっと大きな自然の知恵から見たならば、それが人間である
かぎり、賢さにも愚かさにもおのずから限りがあるわけで、どんな
に賢い人でも、神や仏ほどの知恵もなければ、どんなに愚かな人で
も、ほんとうは犬猫に劣るというほどの人もいない。
(中略)
わずかな人間の知恵の幅である。賢さの中にも愚かさがあり、愚か
さの中にも賢さがひそんでいる。
小さな賢愚の中で、小さなおたがいの心を乱すまい。
平々坦々、みずからの与えられた人生を、心しずかに歩みたいもの
である。
—「生きがいある人生のために-まねる」–
ものをおぼえる事は、まねることから始まる。こどもの歩みを見て
もよくわかる。しかしウリのつるにナスはならない。柿の種をまけ
ば柿がなり、梅の木には梅の花が咲く。
人もまたみなちがう。柿のごとく梅のごとく、人それぞれに、人そ
れぞれの特質があるのである。大事なことは、自分のその特質を、
はっきり自覚認識していることである。
その自主性がほしい。まねることは、その上に立ってのことであろう。
「生き甲斐」「働き甲斐」「やり甲斐」を考える参考にしたいと思います。
2023年11月8日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美