創業家物語 第2章
第2章
「娘婿・養子継承型」の創業家
鈴木家—
スズキ□「トヨタになれるのはトヨタだけだ。ホンダは本田宗一郎さんの
心の同族会社だ。」
コラム
解かれた松下幸之助の呪縛-
社長になった中村が掲げた目標は「破壊と創造」。
「マネシタ電器」と揶揄された手法—ライバルメーカーが開拓した市場に、
類似商品を低価格で大量に投入して市場を押さえ込む—からの脱却である。
小菅家–
伊勢丹□澁澤栄一の薫陶を受けた二代目小菅丹治が経営の基本に置いたのが
「右手に算盤、左手に論語」である。
弘世家—
日本生命保険□日生の生みの親・弘世助三郎は、「自分よし、相手よし、世間よし。
この三方よしが事業の基本だ」という名言を残している。
今の日生は果たして「相手よし」の生命保険になっているのだろうか。
松本家-
パイオニア□創業者の松本望は二代目社長石塚庸三をスカウトした当初、「私も
ラッキーだった。石塚もラッキーだった。
パイオニアという会社は二人のラッキーがプラスしたという以上に、‘ラッキーの
二乗’という幸運に恵まれた」と語った。
石塚は、「東芝時代に人事部にいた期間が長かった。人事大腸を繰って、どういう
学校の、どういう学科の人間が、どこに配置されているか、を勉強した。
人事の要諦であるアレンジメント(配置)、コンビネーション(組み合わせ)、
フォーメーション(戦闘隊形)の三つを学んだ」と言っている。
この続きは、次回に。