お問い合せ

田中角栄「上司の心得」①

日経新聞を読んでいたところ、ちょっと目にした書籍「田中角栄 上司の

心得」政治評論家 小林吉弥/著が気になり、購入してしまいました。

私自身は、政治にはあまり関心がありません。ただ、現在の総理大臣

菅首相は、同郷でもありますので誕生した際には、嬉しかったですし、

期待も致しました。しかし、残念ながら菅政権の支持率が低下しております。

国民の支持を得ていないようですね。

 

私が30歳代に勤務していた企業は、官庁の給食委託会社でした。

主に、農林水産省、総務省、東京郵政局、東京中央郵便局、第三合同庁舎、

第四合同庁舎、KDD、衆議院会館、衆議院宿舎、最高裁判所等々の職員

食堂を委託運営しておりました。

社長が山口県出身で、同郷でその後外務大臣になる安倍晋太郎氏の後援

会長をしていると伺ったことがあります。また、組閣が変わった際には、

組閣一覧をコピーして役員の方々に配布したことも、ただありました。

その当時、有名であった政治家の方々も亡くなられた方が随分、多いように

感じます。

多分、私がこの書籍に目がいったのは、「今の政治家はリーダーシップが

ない」「言っていることと、行っていることが違っている」「Yesか Noか

はっきりと」「聞かれたことに対し、答えていない」等々の「自分自身の

心の声」が優先していたからだと思います。

 

この書籍を読んで、「田中角栄」という人物を再確認致しました。

「参考になるところは、参考にしよう」と心に決めて、再読しております。

それでは、「代表のブログ」で少しずつ、ご紹介致します。

 

2021.6.21

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美


 

始めに、「田中角栄」のプロフィールをインターネットで検索して見ました。

 

田中 角栄

 

昭和後期を代表する政治家、第64・65代内閣総理大臣。

1918年新潟県刈羽郡(現柏崎市)の農村地帯に生まれる。

高等小学校を卒業した後、15歳で上京。工事現場で働きながら、夜間学校

(中央工学校)を卒業する。39年陸軍召集によって満州に送られるが、肺炎に

かかり除隊処分となる。43年に田中土建工業を設立し、終戦は仕事先の

朝鮮半島で迎えた。47年自身2度目の挑戦となった衆議院議員選挙で初当選

(以降16回連続当選)を果たすと、地元の交通関連企業の経営にも加わり、

利益誘導型政治(金権政治)の基礎を固めていく。

57年、岸信介内閣の郵政大臣として初入閣。

池田勇人内閣佐藤栄作内閣の下では、大蔵大臣、通産大臣、自民党

政調会長、幹事長を歴任し、日本の高度経済成長を支えた。

72年7月、第3次佐藤内閣の後を受けて内閣総理大臣に就任すると、非エリ

ート・苦学の経歴から、空前の「角栄ブーム」を巻き起こした。

就任2カ月後には中国を訪問し、周恩来首相と共に「日中共同声明」を

発表すると、その決断力・行動力は海外でも高く評価された。

マスコミに「今太閤」「庶民派宰相」と持てはやされ、就任直前に出版した

日本列島改造論』も人気を後押ししたが、これが暗転のきっかけとなった。

改造論は高速道路と新幹線網の拡充によって人口と産業の地方分散を推進し、

過疎と過密を同時に解消させるという構想だったが、過剰な投機が地価

高騰やインフレを招き、更に73年の第1次石油危機によって破綻(はたん)に

追い込まれた。翌74年、週刊誌に田中ファミリー企業の「土地ころがし」の

実態などを暴いた記事が掲載されると、国民の人気も凋落(ちょうらく)。

マスコミの激しい追及を受け、同年末、首相在任期間2年5カ月で辞職した。

更に76年には、米・ロッキード社からの不正献金(収賄)容疑で起訴され、

83年に東京地裁で有罪判決を受けた。しかし、このロッキード事件

係争中も自民党の最大派閥を率い、大平正芳内閣、鈴木善幸内閣を誕生させ、

中曽根康弘内閣を支援するなど、85年に腹心の竹下登が派閥を割るまで、

「闇将軍」として政界に大きな影響を保ち続けた。

93年の死去後も、壮大な構想力と日中国交正常化や33もの議員立法を

成立させた実行力、巧みな人心掌握術など、不世出の政治力とカリスマ性を

評価する声に、現代政治が失った往時を懐しむ声も重なってか、たびたび

「角栄ブーム」が再燃している。なお、娘の田中眞紀子(44年~)も政治家で、

外務大臣や文部科学大臣などを務めた。

(大迫秀樹 フリー編集者/2016年)

 


 

私が満17歳(高校2年生)の時に、第3次佐藤内閣の後を受けて内閣総理大臣に

就任しています。高校生でしたので——–。

就任直前に出版した「日本列島改造論」は、記憶にあります。

また、池田内閣の「所得倍増論」も記憶にあります。

私と兄は、中学生の時に新聞配達を2年間しており、佐藤首相も新聞配達を

していたと知り、「自分も偉くなるかな」と思ったことがあります。

私が満28歳の時に「ロッキード事件」有罪判決を受けていますね。

私は結婚しており、長男が生まれた年になりますね。

私が満38歳の時に、亡くなられています。今振り返ると、「人生で一番

働き、稼ぎ、絶頂期に入っていた時期」でもあります。

多分、世の中の動きには、無関心だったと思います。

 

このように、自分の年齢と照らし合わせながら、読んでいます。

 

 

この続きは、次回に。

トップへ戻る