田中角栄「上司の心得」③
いまこそ田中角栄の知恵を盗め—-まえがきに代えて
例えば、ビジネスマンがコロナ禍の収束が見えぬ中、「蜜」を避ける
策としてのオンラインによるテレワークを、人間関係の煩わしさから
回避できるので大歓迎だなどと満足しているようでは、なんとも物足り
ない。テレワークは、ビジネス形態としては一便法であり、コロナ禍
終息後に一部は機能しても、ビジネス社会の主流たることはないとみる
からである。
本来、ビジネス社会というものは、商談であれ社内の意思決定の会議で
あれ、大なり小なり、相手、仲間の本音、胸の内を知るハラの探り合い
という側面を持つ。オープンにできない話も、多々ある。つまり、相手の
表情、気配を読むということでビジネスは成り立つということであるが、
オンラインではそれは読み切れない。商談、会議の中身が重ければ重い
ほど、直接対面で結論を得る必要性が、多々、生じてくるということで
ある。
加えて、わが国の99.7%を占める中小・零細企業では、必ずしも大企業の
ように営業なら営業に専念できる環境にはない。
営業の傍ら経理の手伝いもするといったケースも少なくないが、こうした
場合、テレワークで片づけるということにはかなりの無理がある。
つまり、「コロナ後」のビジネス社会人は、一部を除き、以前のように
社員同士が直接向き合う中で、切磋琢磨し、会社としての機能、活力を
取り戻さざるを得ないということである。
そこで上層部へいくほど、その必要性が求められ問われるのが、改めて
人の輪の中への〝現場復帰〟を果たすことになる、上司の器量、力量と
いうことになる。
企業を含めて多くの組織では、自分が入社なりをして1年も経てば、新人が
入って来るのが通例です。その意味では、組織に身を置く以上、誰もが
部下を持つ上司ということになる。そこで求められるのが人の輪に戻る
ための「上司の心得」ということになる。やがて来る「コロナ後」まで
には、これを磨き直す必要があるということでもある。
そうした「上司の心得」のエキスパートが、「人間学博士」と呼ばれ、
全国津々浦々、政界内外に屈指の人脈をつくり上げた田中角栄元首相で
ある。その政治能力の高さの一方で、「人心掌握術の天才」と言って
よかった。また、一方で田中氏は「人を育てる名手」でもあった。
田中派からは、竹下登、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三の四人の首相を
輩出し、麻生太郎元首相も派閥には入っていなかったが、陰に陽に田中氏の
薫陶を受けている。さらに首相以外でも、政界の第一線で活躍した小沢
一郎、金丸信、梶山静六、野中広務の各氏など、多くの人材を門下生と
して送り出している。いま「自民党のドン」として君臨する二階俊博
幹事長も、まごう方なく門下生の一人である。これだけの人材を育て、
送り出した政治家は、戦後、一人としていない。いかに、「人を育てる
名手」であったかが知られるということである。
余談ながら、振り返ってみれば、筆者の「田中角栄」取材は、田中氏が
幹事長時代の昭和44(1969)年12月から始まっている。
平成5(1993)年12月、逝去するまで、じつに24年間を費やしたものであった。
この間、数百人は超えるだろう関係者を取材し、田中氏の人物像を拾った
ものである。田中派時代の幹部、中堅、新人議員の7割方、他派を含めての
与野党議員、官僚、政治部記者、田中事務所の秘書、全33市町村(当時)に
またがる選挙区旧<新潟3区>内に張り巡らされ、政治家個人の後援会として
最強と言われた「越山会」の全会長以下幹部会員といった具合、新潟には
都合100回以上足を運んだ記憶がある。
まァ、酔狂にと言う向きもありそうだが、幹事長就任以降の田中氏は
何らかの形で常に政局の中心におり、政治レポートなどを書くにあたっても、
田中氏取材は不可欠だったという事情もあった。
また、踏み込んで取材をすればするほど、人物としての面白さは飛び抜けて
おり、筆者にとってはさながら、信長、秀吉、家康といった歴史上の人物を
研究する人たちの、のめり込み方に似ていたような気がする。
青春の24年間をかけた「田中角栄」取材だったということである。
さて、小書では田中の言行の中から、4章に分けて、「上司の心得」の
エキスを伝授させていただくことにした。そのうえで、すべての項目を
実例で示してみた。読者が、ケース・バイ・ケースで、身につきやすい
ように心懸けたということである。ある意味、混迷の社会と言っていい、
いまこそ役立つ、「田中人生訓」でもある。
一方で、田中氏には毀誉褒貶、功罪相半ばする評価もあったが、読者諸賢は
見習うべきところだけを見習い、部下から敬愛される「上司」を目指して
いただきたいものと思っている。なお、項目の一部は2年ほど前に「夕刊
フジ」紙に連載したものも入っているが、これらについては大幅に加筆
させて頂いた。また、本文中の敬称は謝して略させて頂き、参考文献は
巻末に一覧明記させて頂いたものである。
令和3年 早春 小林 吉弥
● 便法
「便法」は、ある行為を行ううえでの便宜的な方法。
最も効果的ではないが、その場をうまくきりぬけ、それなりの効果が
ある方法。
● 切磋琢磨
学問や人徳をよりいっそう磨き上げること。また、友人同士が互いに
励まし合い競争し合って、共に向上すること。
▽「切」は獣の骨や角などを切り刻むこと。「磋」は玉や角を磨く、
「琢」は玉や石をのみで削って形を整える、「磨」は石をすり磨く意。
「磋」は「瑳」とも書く。
● 津々浦々
全国至る所。全国のすみずみ。▽「津」は港。「浦」は海辺や海岸のこと。
至る所の港や海辺ということから。「津津」は「つづ」とも読む。
● 薫陶
徳の力で人を感化し、教育すること。
● 酔狂
好奇心から人と異なる行動をとること。物好きなこと。また、そのさま。
酔興。「真冬に水泳とは―なことだ」「だてや―で言うのではない」
● 毀誉褒貶(きよほうへん)
ほめることと、けなすこと。さまざまな評判。「毀誉褒貶を顧みない」
● 功罪
功績と罪過。よい点と悪い点。
● 相半ばする(あいなかばする)
互いに半分ずつである。同じくらいである。「功罪―・する」
● 諸賢(しょけん)
1. 多くの賢人(けんじん=かしこいひと)。
2. 多くの人々に対して敬意を込めて呼ぶ語。代名詞的にも用いる。
みなさん。「諸賢のご健康を祈る」
この続きは、次回に。