お問い合せ

田中角栄「上司の心得」⑦

「親分力」連発の若き郵政大臣

 

さて、東京タワー建設の実現で田中の力量に脱帽した郵政官僚たちだったが、

その後、田中が立て続けに郵政省が抱える難問を解決してみせたことで、

改めてド肝を抜かれることになるのだった。ウナったのは、「親分力」の

連発であった。

当時、郵政省が抱える難問には、NHKと日本テレビの開局以来、テレビ

時代の到来近しで大量のテレビ放送の予備免許申請があり、これをどう

さばくかが一つ。二つに、それまで政府と長くギクシャクが続いていた

郵政省の全逓信労働組合(「全逓」)と、どう足並を揃え折り合っていくか

があった。

これまた、郵政官僚たちが生易しいものではないとみていたこの二つの

難問を、田中はのみ込みの早さ、決断力と実行力で、あれよこれよと解決

したのだった。

前者の予備免許申請は、その数86社153局に達していた。申請の多くは

全国各地の新聞社が主体、一方でバックにはその地出身の国会議員、有力

経済人なども絡んでいることから、どこを採りどこを切るかの判断は至難の

ワザであった。田中以前の郵政大臣は、ひたすら決定を先延ばしにする

ことで、お茶を濁してきたのである。

これに対して、まず田中は「大臣決定」で電波監理審議会に諮問、あっと

いう間に予備免許先43局を決めてしまったのだった。

じつに申請の4分の3弱を切り捨てねばならず、この作業はとてつもない

政治力、リーダーシップを要求されることだった。

なるほど、歴代郵政大臣が〝逃げ腰〟だったのも無理からぬことである。

また、「全逓」問題は、春闘での公労法および国家公務員法での違反者を

果敢に大量処分してみせた一方、裏で「全逓」幹部への巧みな根回しを

駆使、政府と「全逓」の関係を正常化に向かわせたということだった。

東京タワー建設、そしてこの二つの難問解決に郵政官僚の田中への信頼は

いやがうえにも高まった。やがて、郵政省もまた建設省同様、「田中官庁」の

色合いを強くしていったのだった。

恐るべきし、田中の「親分力」ということであった。

 

 

この続きは、次回に。

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