田中角栄「上司の心得」⑪
● 「下、三日にして上を知る」
もう一例は、田中が自民党幹事長の頃の話である。
この話は、筆者はのちに首相となる羽田孜から、竹下登内閣の農水大臣を
辞めた直後に聞いている。
「羽田さんは、なぜ田中(角栄)さんに惹かれたのか」との問いに、おおむね
次のように答えてくれたのである。
時に、羽田は長野県選出のまだ陣笠代議士であった。折から、参院選が
あり、長野県出身の青木一男という自民党議員が当時の全国区での再選を
目指していた。ところが、この青木、曲がったことが大嫌いの一徹者、
高潔の士ゆえ、選挙資金もろくに集め得ず、汲々とした戦いを強いられて
いたのだった。同郷のよしみもあり、見かねた羽田が心配し、田中に支援の
ための電話を入れたのだった。しかし、マズイことが一つあった。
青木は石井(光二郎)派に所属、その石井は田中とはソリが合わなかった
からである。羽田は、田中にこう切り出した。
「青木の選挙資金はまったく底をつき、運動にもかげりが出ています。
なんとか〝支援〟をお願いできませんか。ただし、やがて田中先生が
総裁選に出られても、石井派だから支持してくれるかどうかは分かりま
せんが」
すると、電話口から、田中のカミナリが落ちたのだった。
「バカ者っ。青木の真面目さは、自民党の宝じゃないか。青木は落とせん。
メシ代もないようじゃしょうがない。党としては(公認候補者に)やるべき
ことはやっているが、足りないのならすぐおまえが取りに来い」
羽田が田中のもとに駆けつけると、田中は200万円ほどが入った封筒を
渡して言ったのだった。
「とにかく、一刻も早くこれを青木に届けてやれ。ただし、あの青木の
ことだから、ワシからのカネと言ったら頭を抱えてしまうかも知れん。
それは、一切、言ってはならん。おまえが、自分でつくったカネだと
言っておけ」
羽田はこのときの田中とのやりとりを契機に、それまで以上に田中に傾倒、
やがて田中側近を自任するようになった。
そして、「田中評」をこう結んだのだった。
「田中さんは、人が困っているときは派閥がどうだなどは、一切、関係
なし、助けに出ていた。頼まれ事をされると、ノーと言えないのだ。
そのうえで、誰それに何をやってやったかは、口が腐っても言わない。
私はひけらかすことが一切、『親分力』に参ったのだ」
田中は若い政治家が目の前で生半可なことを披瀝すると、決まってこう
言った。
「一丁前な口を利くなッ」
中途半端な知識、経験の〝ひけらかし〟は、むしろ人の反発を買うぞと
教えたのであった。
ためか、田中はとくに若き日の橋本龍太郎(のちの首相)と小沢一郎(現・
立憲民主党)の二人をとりわけ有望株として見ていたが、知識の量と頭脳
回転は抜群で目立つ橋本より、万事に寡黙で人の見ていないところで汗を
流す小沢をより買っていた。
「人間学博士」とも言われた田中の中では、人を観る目の中で「ひけらか
さない」小沢に、より〝男の粋〟を看て取ったということでもあった。
「下、三日にして上を知る」という言葉がある。
上司は多くの部下の一人一人をなかなか見定められないが、個々の部下は
三日もあれば上司の器量をすべて見抜いてしまうものだという謂である。
部下にカンタンに器量を見抜かれているような上司では、それ以上の
ポストは遥かに遠いと思いたい。
● 一徹者
思いこんだことはひと筋に押し通すこと。かたくななこと。
また、そのさま。「老いの一徹」「一徹な性格」
● 高潔
人柄がりっぱで、利欲のために心を動かさないこと。また、そのさま。
「高潔の士」「高潔な人柄」
● 汲々(きゅうきゅう)
一つのことに一心に努めて、他を顧みないさま。また、あくせくして
ゆとりのないさま。「汲汲として一生を終える」
● 披瀝
心の中を包み隠さずに打ち明けること。「本心を披瀝する」
● 万事
すべてのこと。あらゆること。
「万事を人に任せる」「万事うまくいっている」「一事が万事」
● 寡黙(かもく)
口数が少ないこと。また、そのさま。「寡黙な人」
● 下、三日にして上を知る
「上三年にして下を知る、下三日にして上を知る」とは、上司が部下を
知るためには3年の月日を要するが、下が上を知るには3日あれば充分で
ある、という意味です。特に下の人間は、上の人間のイヤな所を皮膚で
感じることができるのが恐ろしい所です。
この続きは、次回に。