お問い合せ

ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+43

事業を運営する者には自由を与えなければならない。責任と責任に伴う

権限を与えなければならない。何ができるかを示す機会を与え、あげた

業績に対して報いなければならない。このことは、明らかにスローンが

直ちに気づいていたように強力なエグゼクティブを内部から調達することが

必要となるに従っていっそう大きな意味をもつようになった。

しかし当時、スローン以外の誰もが、この問題を個々の人間として理解し、

勝利者となる者が握る権力によって解決されるべき問題と見ていた。

これに対しスローンは、問題を組織構造によって解決すべき組織の問題

として見た。そして彼が構想した組織構造が、運営における自治と、方向

づけにおける統制のバランスを図るものだった。

この解決策がいかに有効だったかは、GMが際立った成果をあげられな

かった唯一の領域を見ればわかる。GMは少なくとも一九三○年代の中頃

以後は、政治や政策を予測したり理解したりすることに成功していない。

そしてまさにこの領域こそ、GMにおいて分権化されなかった領域だった。

事実GMでは一九三五年以来、上級のエグゼクティブが共和党保守派以外で

あることはほとんど考えられないことだった。

ヴェイルとスローンの意思決定は、それぞれまったく異なる問題を扱い、

それぞれ際立って特殊な解決策をもたらしたにもかかわらず、いくつかの

重要な共通点をもっていた。すなわちそれらの意思決定は、すべて最高の

概念的水準において問題と取り組んでいた。いずれも何についての意思

決定かを検討して原則を明らかにした。換言するならば、それはすべて

その時々の個々のニーズに対する対応としてではなく、戦略的な意思決定

として取り組まれていた。

それらの意思決定はすべて社会的なイノベーションをもたらすものだった。

いずれも基本的な議論を引き起こすものだった。事実彼に二人が行った

五つの意思決定はすべて、当時誰もが知っていたことと正面から対立する

ものだった。

現にヴェイルは、社長としての最初の任期中に取締役会によって解任された。

電気通信事業はサービス事業であるとする彼の考えは、事業の唯一の目的は

利益であることを知っている人たちにとってはほとんど正気でないと思われた

ためだった。

規制はベルの利害に一致し、ベルの存続に必要であるとする彼の信念も、

規制は手段を尽くして闘うべきもの、忍び寄る社会主義であることを

知っている人たちにとっては、反道徳的とまではいかなくとも軽率な

考えに思われた。

国有化の声が急速に高まってきたことに驚いた取締役会が彼を再び社長の

地位につけたのは、その何年か後のことだった。

また、現在の工程や技術が会社に大きな利益をもたらしているときに、

それらを陳腐化させるために金をかけるという決定、そしてそのために

大研究所を設立するという決定、あるいはまた当時一般的だった投機的な

資金の調達を拒否するという決定も、取締役会からは奇行以外の何物でも

ないとして攻撃された。同じようにスローンの分権化も、当時の人たちには

受け入れがたいものであり、知っていることすべてに反するものとされた。

当時、アメリカの産業界で最も急進的と一般的に認められていた企業人が

ヘンリー・フォードだった。しかしそのフォードにとってさえヴェイルや

スローンの決定はあまりに粗野にすぎた。彼にとっては新しく設計した

T型フォードこそ永遠の理想車だった。ヴェイルの説く自らによる陳腐化

など愚行に映ったに違いなかった。しかもフォードは、統制のみが能率と

成果をもたらすものと信じていた。

スローンの分権化は彼の目には自滅的な弱みとしか映らなかった。

 

● 自治

 

自分や自分たちに関することを自らの責任において処理すること。

「大学の―」「―の精神」

 

● 換言

 

別の言葉で言い表すこと。言いかえること。「以上のことを―すれば」

 

● 粗野

 

言動が下品であらあらしくて、洗練されていないこと。また、そのさま。

「―な振る舞い」「―な育ち」

 

● 愚行

 

考えの足りない、ばかげた行い。

 

 

この続きは、次回に。

トップへ戻る