P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-60
○ 規模のアンバランス
アンバランスの中で最も重大なものは、対象となる市場や必要とされる
マネジメントの規模からして、自らの事業そのものの規模が不適切で
ある場合、通常は小さすぎる場合である。
EC(ヨーロッパ共同体)市場の成立が、中規模の同族企業に対し、この種の
アンバランスをもたらしている。限られた国内市場には適していたが、
ヨーロッパという単一の市場で巨人と競争するには、製品、資本、
マーケティング、マネジメントに不足することになった。
この一○年来、それらの同族会社間で、国境を超えた合併のブームが
起こり、伝統的に外部に対し猜疑心の強い同族会社間で、パートナー
シップやマーケティング協力や共同研究の契約が急増してきた原因が
ここにある。
日本においても、一億の顧客から成る大衆市場に対処できなくなった
小規模の同族企業の間で同じことが起ころうとしている。
また、はるかに小規模ではあるが、第二次世界大戦後、それまで高い
輸送コストによって隔離されていた市場が全国市場と融合したカリフォ
ルニア州でも同じことが起こった。
市場、特にその規模や構造に変化が生じたとき、中小企業の規模と、
市場からの要求との間にアンバランスが生じる。
そしてほかのアンバランスと同じように、このときも隠された機会が
生じる。しかし、この種の機会の利用には、企業の規模を単に大きく
しさえすればよいというわけではない。企業構造の基本的な改革と、
時には財務構造や所有権の改革まで伴う合併、買収、パートナーシップ、
合弁が必要となる。
事業に必要とされるマネジメントの規模と、事業規模とのアンバランスを
機会に転ずるための唯一の解決策も、同じように改革である。
マネジメントもまた、生産的活動のための資源である。
したがって、マネジメントの規模およびそのコストが事業の規模と
アンバランスな状態にあるということは、貴重で高価な人材を過少
利用しているということにある。
確かに企業は、一流のマネジメントを必要とする。
しかし企業は、マネジメントに対し、相応の報酬を支払わなければ
ならず、相応の仕事と挑戦の機会を与えなければならない。
それが不可能であるならば、たとえ必要な人たちを迎え入れ、あるいは
育成に成功したとしても、間もなく失うことになる。
その結果、事業は行き詰まり、破滅さえしてしまうかもしれない。
このアンバランスを機会とすることができれば、事業の規模においても、
利益においても、急速な成長が約束される。
しかし、それにしても中堅企業の中には、著しく高価なマネジメントを
抱えているものがある。
しかもそのような企業は常に最新流行のマネジメントを追いかけている。
ヒューマン・リレーションズが花盛りとなれば、心理学や社会福祉や
人事の専門家を雇い、全社員にリーダーシップ訓練を受けさせる。
二年も経って、今度はORが人気となれば、みなが経営科学セミナーに
出席する。二五○人の企業給与計算には、連邦政府のすべての事務を
処理できるような大型コンピュータは必要ない。
そのような企業は直ちに、事業が必要とする規模にまでマネジメントを
小さくすべきである。ところが事業規模からは賄えないようなマネジ
メントを本当に必要だと考えている企業がある。
あるプラントメーカーでは、アメリカの民間市場で高度に技術的な事業を
行っていくには、マネジメントや技術上の業務だけで一五○○万ドルの
売上げが必要であるとしていた。
その会社の事業の多くは、大規模で高度に機械化された工場への巨額の
投資、継続的な研究開発、専門的な営業努力、充実した技術サービスを
必要としていた。
しかしそれにしても数字が大きすぎた。なぜならば、同じ分野のほかの
エンジニアリング会社は一○○○万ドルから一二○○万ドルの売上げで成功
しているからである。
特殊化学品メーカーなど高度に技術的な企業でさえ、売上げ五○○万ドル
から七○○万ドルで立派に経営し市場でリーダーシップを握っている。
とはいえ、売上高は、原材料費や部品費を引いた付加価値ほどには重要な
意味はないかもしれない。付加価値で見るならば、売上げは五○○万ドルで
あっても原料の安い化学品メーカーのほうが、売上げは一五○○万ドルで
あっても材料費や部品費が七○%にのぼるプラントメーカーよりも大きな
事業なのかもしれない。
この続きは、次回に。