「道をひらく」松下幸之助 ⑤
・手さぐりの人生
目の見えない人は、かなかなケガをしない。むしろ目の見える人の
ほうが、石につまづいたり、ものに突き当たったりしてよくケガを
する。
なまじっか目が見えるがために、油断をするのである。
乱暴になるのである。
目の見えない人は手さぐりで歩む。一歩一歩が慎重である。謙虚で
ある。
そして一足歩むために全神経を集中する。これほど真剣な歩み方は、
目の見える人にはちょっとあるまい。
人生で思わぬケガをしたくなければ、そして世の中でつまずきたく
なければ、この歩み方を見習うがいい。「一寸先は闇の世の中」と
いいながら、おたがいにずいぶん乱暴な歩み方をしているのでは
なかろうか。
いくつになってもわからないのが人生というものである。
世の中というものである。それなら手探りで歩むほか道はあるまい。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むことほど危険なこと
はない。わからない世の中を、みんなに教えられ、みんなに手を引かれ
つつ、一歩一歩踏みしめて行くことである。謙虚に、そして真剣に。
おたがいに人生を手さぐりのつもりで歩んでゆきたいものである。
・自然とともに
春になれば花が咲き、秋になれば葉は枯れる。草も木も野菜も果物も、
芽を出すときには芽を出し、実のなるときには実をむすぶ。
枯れるべきときには枯れてゆく。自然に従って素直な態度である。
そこには何も私心もなく、何の野心もない。無心である。虚心である。
だから自然は美しく、秩序正しい。
困ったことに、人間はこうはいかない。素直になれないし、虚心に
なれない。ともすれば野心が起こり、私心に走る。
だから人々は落着きを失い、自然の理を見失う。そして出処を誤り、
進退を誤る。秩序も乱れる。
時節はずれに花が咲けば、これを狂い咲きという。出処を誤ったからで
ある。それでも花ならばまだ珍しくてよいけれど、人間では処置がない。
花ならば狂い咲きですまされもするが、進退を誤った人間は、笑った
だけですまされそうもない。自分も傷つき、人にも迷惑をかけるから
である。
人間にとって、出処進退その時を誤らぬことほどむつかしいものはない。
それだけに、ときには花をながめ、野草を手に取って、静かに自然の
理を案じ、己の身の処し方を考えてみたいものである。
● 虚心
心に何のこだわりももたずに、すなおであること。また、そのさま。
「忠告を―に聞く」
● 出処
物事の出てきたところ。出どころ。
「―不明の情報」「資金の―を究明する」
この続きは、次回に。