「道をひらく」松下幸之助 ⑳
○ ともによりよく生きるために
・縁あって
おたがいに、縁あってこの世に生まれてきた。そして、縁あっていろ
いろの人とつながりを持っている。
縁あって—–何だか古めかしいことばのようだけれど、そこにはまた
一つの深い味わいがひそんでいるように思える。
人と人とのつながりというものは、とかく人間の個人的な意思でできた
と思いやすいもので、だからまたこのつながりは、自分ひとりの考えで、
いつでも断てるかのように無造作に考えやすい。
だがほんとうはそうではない。人と人とのつながりには、実は人間の
いわゆる個人的な意思や希望を越えた、一つの深い縁の力が働いている
のである。男女の縁もまた同じ。
そうとすれば、おたがいにこの世における人と人のつながりを、もう
すこし大事にしてみたい。もうすこしありがたく考えたい。
不平や不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びたい、
その喜びの心で、誠意と熱意をもって、おたがいのつながりをさらに
強めてゆきたい。
そこから、暗黒をも光明に変えるぐらいの、力強い働きが生まれてくる
であろう。
・あいさつをかわす
さわやかな朝の空気を胸いっぱいに、わが家の前の道を掃除する。
勤めの早い近所の人が向こうからやって来る。
〝おはようございます〟〝おはようございます〟。
何気なくとりかわすこの朝のあいさつは、毎日の習慣のように、何でも
ないことのように思えたりするのだが、私たちは、もう少しあいさつの
大切さを考えてみたい。
〝ゆうべは寒かったですね〟という、おたがいにいたわりあう気持ち
から出たこのあいさつで、あるいは〝毎度お世話になっております〟
というこの感謝の気持ちから出たあいさつで、おたがいの用件にはいる。
仕事がスムーズに動き出す。だれが考え出したのでもない。
私たちの遠い祖先から伝わってきたこのあいさつというものは、いわば
おたがいの毎日の暮らしの潤滑油とでもいった尊い働きを果たしている
のである。〝お寒うございます〟と言ったところで暖かくなるわけでは
なし、というのは落語の中の話だけにしたいものである。
あいさつにもいろいろとあろうが、要は、私たちはもっと、あいさつと
いうものを大切にしたい。明るく朗らかに、あいさつをかわしあうことを
心がけたいものである。
この続きは、次回に。