続「道をひらく」松下幸之助 ⑥
・初心
幼き日、まだ西も東もわからぬころ、やさしい母からは時にきびしく、
きびしい父からは時にやさしく、ハシの持ち方からクツのはき方まで、
手に手をとって教えてもらった。時にケンカをしながらも兄から教えて
もらったこともあるし、姉に導かれたこともある。小学校の先生からも
隣のおばさんからも、時にのぞみ折にふれて、いろいろのことを教え
られ、それを素直にききつつ、また自分でも考え、そして次第に成長
していった。
密林のなかで、動物に育てられた人間の子は、動物みたいなふるまいに
なっていたという実例があったけれども、ありがたいことにお互いは
人間のなかに生まれ育てられ、たくさんの人びとの教えや導きをうけ
つつ、人間として成長してきたのである。
それがいつのまにか、他人の言をおろそかにするようになる。われ成長
せりと思うからだろうけれども、どんなに成長しても、他人の言うこと
に耳を傾ける心を失ったら、それはもはや自分を失うことにもなりかね
ない。
〝初心にかえる〟とは、あの幼き日、人に教えられ人に導かれていた
あのころの、あの素直な心をとりもどすことではあるまいか。
● 初心にかえる
初心にかえる 「物事を始めたときの純真な気持ちにかえる」という
意味です。「初心にかえる」の「かえる」という漢字表記は、「返る」
あるいは「帰る」です。2022/03/1
・美しい日本
山があって川があって、森があって林があって、田んぼがあって鎮守の
社があって、その社にお正月ののぼりがはためいている。そんな美しい
日本を、この三十年余、無秩序に無自覚にずいぶんこわしてしまった。
汚してしまった。
こわしても汚しても、そこから新たな文化が生まれるのなら、これも
また生成発展の一つの姿かも知れないが、どうやら眼に見えぬ美しい
日本人の心までもこわし汚して、新たな日本の文化どころではなさそう
である。
和と信と情と勤勉の心あつい伝統の日本の庶民の心は、今やさくばく
としつつあると言える。眼に見えるうわべだけの美しさにとらわれて、
眼に見えぬ大事な心の美しさを、どこかにおきざりにしてしまったの
だろうか。
美しい日本にしよう。美しい日本人になろう。日本は本来美しい国な
のである。日本人は本来美して民族なのである。日本と日本人のその
本来の美しさを今こそ見つめ直そう。
磨き直そう。そして新たな文化を生み出そう。日本のために。
世界のために。
● 鎮守の社
鎮守神を祭った神社。
● 鎮守神
国・村・城・寺院など、一定の地域や造営物を守護するために祭られた
神。のちには氏神・産土 (うぶすな) 神と区別しがたくなったものも多い。
この続きは、次回に。