続「道をひらく」松下幸之助 ㊿+17
● 大らかに
日本には、むかしむかしの大むかしから、八百万の神々と言って、そ
のころの人の数よりも、はるかに多い神さまがおられたという。
そんなに多いのは、人間一人ひとりにだけでなく、小さい石、可憐な
タンポポ一本一本に至るまで、それぞれにそれぞれの神さまが守って
おられるからで、その神さまがたの守りのおかげで、人間も石もタン
ポポも、おのもおのもその使命を全うしているということになっている。
宗教の立場から見て、そのうけとめ方が正しいのかどうか知らないが、
口がなくて語り合えぬ石同士でも、それぞれの神さまが代って語り合い、
それでそれぞれに生かされている。
人間でも、時に生身の人間同士、口もききたくないということもあろ
うけれど、このままでは互いに不幸で、互いに生かし合えぬと、それ
ぞれの神さまが、何とか和解の道はないかと、話し合っておられるは
ずである。
そう思えば大らかになる。大らかなのが、古来の日本精神である。
そして、そんな大らかな日本精神が、世相混迷の今こそ必要なのである。
■ 八百万(やおよろず)の神
八百万の神とは、日本で古くから存在する神道において、祀られている
神のこと。 古代から日本ではあらゆる現象や、太陽から月、風、家
のなかの便所まで世の中に存在するすべての物に神が宿っていると
考え、そうした無数の神々を「八百万の神」として崇める風習が
あった。
● どこかで
どこかで鶏が鳴いている。空は暗く、大地も深い闇に閉ざされて、まだ
どこにも明るさは感じられないのに、耳をすませばどこかで鶏が鳴いて
いる。
鶏鳴は暁を告げるというけれど、はるかなる天の一角に、あるいはひ
そやかに朝の気配が訪れているのであろうか。
そうとすれば、眼前のこのくらやみは、月が落ちたあとのいわゆる暁闇
というのであるのか。
どこかで鶏が鳴いている。先ほどまでは、遠くのかすかな鳴き声で
あったのに、いつのまにか思わぬ近くでも鳴き出した。そういえば、
樹々も街々もまだ暗いけれど、今までの漆黒の空が深い紫色に変わっ
てきている。朝は遠くないのである。
めざめなければならないのである。鶏鳴に耳をすませつつ、くらやみ
の大地から空を見上げて、新たなる働きへの準備を急がなければなら
ない。
世界も日本もまだ暗い。底なしのくらやみのようにも思える。だがし
かし、どこかで鶏鳴が聞こえるはずである。耳をすましたい。
心をしずめたい。
■ 鶏鳴(けいめい)
1. にわとりが鳴くこと。また、その鳴き声。「―暁 (あかつき) を告げる」
2. 一番どりの鳴くころ。夜明け。明け方。
■ 暁闇(あかつきやみ)
夜明け前、月がなく辺りが暗いこと。陰暦で、1日から14日ごろまで、
「うば玉の―の暗き夜に何を明けぬと鳥の鳴くらん」〈続後撰・雑中〉
■ 漆黒(しっこく)
黒うるしを塗ったように黒くてつやがあること。また、その色。「―の髪」
この続きは、次回に。