お問い合せ

Think clearly シンク・クリアリー ㉖

26. 楽しさとやりがいの両方を目指そう—快楽の要素と意義の要素

 

□ 「楽しいこと」と「有意義なこと」、どちらが大切?

 

(中略)

 

人生において、本当に重要なこととはいったいなんだろう? 私たちは何を一番大切に

すればいいのだろう? よい人生に必要なのは、「楽しめる」行為か、それとも「有意義

な」行為か?

ギリシアの思想家は、すでに紀元前五世紀にこの問いについて思索をめぐらせている。

いわゆる「快楽主義者」と呼ばれる少数の哲学者は、「よい人生の条件とはできるだけ

多くの直接的な楽しみを持つこと」だと主張した。

「快楽主義(ヘドニズム)」という言葉は古代ギリシア語で喜びや楽しみ、享楽、性的

欲求を意味する「he done」に由来している。「スマートフォンでちょうど面白いユー

チューブの動画を見ているところなのに、どうして高齢の女性が道路をわたる手助けを

しなければいけないのか?」というわけだ。

だが、ほとんどの哲学者たちは、「直接的な楽しみは低俗で、退廃的で、動物じみて

いる」と言う立場をとった。よい人生にはもっと高尚な喜びが必要だと考えたのだ。

 

□ 「欲求の要素」と「意義の要素」が存在する

 

高尚な喜びを求める思想は「幸福主義(エウダイモニア)」と呼ばれた。そして、この

空疎な言葉ができるとすぐに、その中身をどう定義するかの論争が始まり、多くの

哲学者たちは、人間に必要なのは美徳だという結論を出した。つまり、「尊敬に

値する人生」こそが、よい人生とされたのだ。

 

(中略)

 

なかなかややこしい。ロンドン・スクール・オブ・エコノミストの心理学者、ポール・

ドーランはこの問題を次のように解釈しようとした。

音に、「音の高さ」と「音量」というふたつの要素があるように、人間が体験するひとつ

ひとつの瞬間にも、ふたつの要素があると考えたのだ。

それは、「欲求の要素(あるいは快楽の要素といってもいい)」と、「意義の要素」である。

快楽の要素」は直接的な楽しみであり、「意義の要素」はその瞬間に意義を感じる

私たちの感情だ。

たとえば、チュコレートを食べるのは多くの人にとって快楽の要素が大きいが、意義の

要素はごくわずかだ。それに対して高齢の女性が道を横断する手助けをするときには、

快楽の要素はわずかだが、意義の要素は大きい。

 

(中略)

 

「見ればわかる」という言葉があるが、目の前の出来事に「意義」があるかどうかは

人間誰しもすぐに判断がつく。

 

(中略)

 

だが一方で、この思考法について書くのはとても意義のあることだと思っている。

意義と楽しみを幸せの基盤と見なす考え方は「大胆で斬新な発想だ」と、ノーベル賞を

受賞したダニエル・カーネマンだって認めているくらいなのだ。

 

□ 「快楽主義的」でない映画がヒットする理由

 

(中略)

 

長いあいだハリウッドでは、いわゆる「快楽主義的」な映画制作論が支配的で、「平凡

な日常を忘れさせるような、退屈すぎずストレスも少ない、観客が十分に楽しめる映画

をつくること。大事なのは面白いストーリーとハッピーエンド。そして美しい俳優が

出演していることだ」と考えられていた。

だが、こうした成功の法則に当てはまらない、快楽主義では説明のつかない映画が

ヒットすることもたびたびある。『ライフ・イズ・ビューティフル』『シンドラーの

リスト』『ビューティフル・マインド』などがそのよい例だ。

映画に必要なヒットの要素が、映画研究者によって裏づけられたのはつい最近だ。

映画には「純粋な娯楽」だけでなく、「意義の要素」も必要なのだ。優れた監督や

作家ならずっと前から気づいていることだ。悲しい映画や粗末な低予算の映画でも、

十分に意義のある作品であればよい映画になれるのだ。

 

仕事に関しても、「意義」の果たす役割は大きい。特に若い人たちの場合、給与が少なく

ても、「意義のある」ブロジェクトに参加できる仕事を選ぼうとする。

理想を掲げて起業したばかりの新しい会社にとってはありがたい話だが、規模の大きい

コンツェルンにとっては都合が悪い。意義のなさを、欲求の要素(要はお金)を高めること

で補わなくてはならないからだ。

そして言うまでもなく、「欲求」と「意義」の矛盾を抱えやすいのは芸術家だ。芸術だけ

を追い求めて美しく死ぬか、大衆の好みに迎合して金を稼ぐかで頭を悩ませるのは、

昔から芸術家の常である。

 

あなたには、「欲求」と「意義」のバランスよい配分を心がけるようおすすめしたい。

どちらか一方に偏るのは避けよう。なぜなら、一度バランスを失ってしまうと、どんどん

極端な方向に走りやすくなるからだ。

 

(中略)

 

同じように、昼夜の別なく世界の救済のために奔走し、自分の楽しみを一切持とうと

しないのも、やはり幸せとはいえない。一番いいのは、「意義」のある何かと「楽しみ」

のための何かを、交互にくり返すことかもしれない。ちょっと世の中のためになることを

した後には、一杯のビールを楽しむように。


 

この続きは、次回に。

 

2024年11月22日

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美

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