Think clearly シンク・クリアリー ㉗
27. 自分のポリシーをつらぬこう—「尊厳の輪」をつくる
□ イギリス将校が送った電報「そうでなくても」の意味
(中略)
そんな中、あるイギリス人将校は、ロンドンに向けて電報を打った。
電文は、「そうでなくとも」。たったこれだけである。
あなたなら、この電報をどう解釈するだろうか?
聖書になじみのある人ならば(当時はなじみがあって当然だったのだが)、この言葉の
意味するところはすぐに分かったはずだ。これは旧約聖書に登場する言い回しである。
バビロニアの王ネブカドネツァルは、三人の敬虔なユダヤ人にこう申しつける。
(中略)
一九四○年五月にその知らせを受け取ったロンドンの無線通信局は、イギリスの軍上層部
に電報の内容をこう伝えた。「ここ、ダンケルクの状況は暗澹たるものです。奇跡でも
起きない限りここから脱出するのは不可能でしょう。けれども私たちは、何があろうと
降伏しないと心から決めています」。
これだけのことが、「そうでなくとも」と言う短い電報で伝わったのだ。つまりこの言葉
は当時、「全面的なコミットメント」を表すときの一般的な表現だった。
□ 「どんな事情があっても妥協できないこと」とは ?
さて、話は変わるが、あなたがどうしても譲れないこと、いわば「主義」はなんだろうか?
「ポリシー」と言い換えてもいい。
(中略)
どんな事情があろうと妥協できない、個人的な優先事項や主義の明確な領域を、
私は(「能力の輪」にならって)「尊厳の輪」と呼んでいる。
第6章では「誓約」について取り上げたが、あなたの誓約をすべてひとつの領域に
まとめたのが「尊厳の輪」だ。
「尊厳の輪」は、(a)より筋の通った論理、(b )あなたの信念をおびやかす危険、
(c)悪魔との契約、という三つの危険からあなたを守ってくれる。
この章ではまず、そのうちのひとつ目の危険、「より筋の通った論理」について
見ていこう。ふたつ目、三つ目の危険については、次章、その次の章で詳しく
述べる。
「能力の輪」と同じく、「尊厳の輪」の場合も、その大きさ、というのはあまり重要で
はない。重要なのは、その境界がどこにあるかを、しっかりと把握しておくことだ。
小さくても、強固で境界のはっきりした「尊厳の輪」をつくりあげるのは、よい人生に
は不可欠である。どんな事情があっても譲れないマイルールの「境界線」を、自分でしっ
かり知っておくことが、自分の幸せにつながると言える。
「尊厳の輪」の中にある主義主張に、筋道だった論理は必要ない。いつもなら私は明快
な考え方や合理性を重んじ、同じ論理なら「より筋の通った」ほうを優先させるところ
だが、この輪は、通常がよしとするものすべての対極にある。
輪の中にあるものに合理的な説明がつけられないのは、「尊厳の輪」の絶対条件だと
言ってもいい。たしかに、論理的にものごとを構築して検討をくり返せば、そのつど
新しい発見があり、どんどん進化していく。
だが、もし「尊厳の輪」の中にある主義主張を論理的に構築してしまうと、誰かがより
筋の通った論理で、あなたの優先事項や主義や信念を台無しにする危険に、常に脅かさ
れなければならない。安心して「尊厳の輪」をつくることができなければ、あなたの
人生には基盤がなくなってしまう。
□ 「尊厳の輪」を小さいままにしておいたほうがいい理由
では、「尊厳の輪」はどうやってつくりあげればいいのだろう? これは、じっくり考え
てもできるものではない。「尊厳の輪」は、年齢を重ねるにつれて、しだいにはっきり
とした形となる。
多くの人にとっては、輪の形ができるのは人生も半ばに差しかかった頃だろう。
この輪の形が見えてきたら、人間的な成熟に大きく近づいた証だ。
輪の形成には、ある程度の人生経験を積まなければならない。間違った決断や、失望や、
失敗や、危機を乗り越え、どの主義主張を輪の中に取り入れ、どれをあきらめるか、
熟考を重ねなければならない。中には尊厳の輪を確立できないままの人もいるが、そう
言う人たちは周りの人間の巧みな理屈に振り回されつづけることになる。
ただし、「尊厳の輪」は小さいままにしておこう。小さな輪は、大きな輪よりも頑強だ。
その理由は二つある。
ひとつ目は、輪の中に入れるものが多ければ、矛盾が生じやすくなるからだ。優先事項が
一○項目もあったら、それらすべてを同時に満たすことはとてもできない。
ふたつ目は、輪の中に入れるものが少なければ、自分の信念に対してきちんと責任を持ち、
それを守りやすくなるからだ。「コミットメントのような厳粛な約束事の数は、限定的
でなければならない」とウォーレン・バフェットも忠告している。
このことは、他人との約束に対してだけでなく、自分との約束に対しても当てはまる。
だから、交渉の余地のないことや、妥協できない自分の主義を選び出すときには、でき
るだけ慎重になろう。
ところで、ここまでは明快なのだが、覚悟しなければならないことがある。自分の信念
をつらぬくためには、他人を失望させることは避けられず、ときにはあなたの好きな人
を落胆させるかもしれないということだ。
あなたは人を傷つけたり、人をないがしろにしたりすることになり、逆にあなたはその
人たちから失望させられ、傷つけられ、侮辱されるだろう。あなたはそれらすべての
感情に耐える心の準備をしておかなくてはならない。
それが「尊厳の輪」を構築するために支払わなければならない代償だ。摩擦を起こさず
に生きていけるのは操り人形だけである。「能力の輪」を築き上げるには一万時間必要
だとしたら、「尊厳の輪」を築き上げるまでには一万回は傷つかねばならないだろう。
「尊厳の輪」にそれだけの代価を払う価値があるのだろうか? そういう質問の仕方は
間違っている。お金で買えないものに、そもそも適正価格などあるわけがないからだ。
「何かに命をかける覚悟のない人間は、人生に未熟である」と言ったのはキング牧師だが、
つらい経験に耐える覚悟のない人も、やはりよい人生を手に入れられるほど成熟してい
るとは言えないのだ。傷つくのを恐れていては、「尊厳の輪」は築けない。
この続きは、次回に。
2024年11月24日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美