お問い合せ

Think clearly シンク・クリアリー ㉙

29. そそられるオファーが来たときの判断を誤らない—「尊厳の輪」をつくる

 

□ アルプス山脈シェレネン峡谷の「悪魔の橋」

 

アルプス山脈。ヨーロッパの中央に位置する巨大な障壁だ。はるか昔から、南北の人や

モノの行き来を阻んできた。命知らずな人たちが何度も山々に道を通そうと試みたが、

うまくいかなかった。

なんとか道をつくれそうなのは、スイスのウーリ州とティチーノ州のあいだにあるゴッ

トハルト峠を越えるルートだったが、アルプス連峰の真ん中にあるその峠の北側には、

深く切り込んだ険しい「シェレネン峡谷」が横たわっている。この深い谷間をどう克服

するかが問題だった。

その解決策として一三世紀につくられたのが、いわゆる「悪魔の橋」である。

 

(中略)

 

□ 「悪魔に魂を売り渡す行為」の意味するもの

 

ウーリ州の人々は、悪魔に魂を売り渡す契約をしたものの、それほどの被害を受けずに

南北の行き来が劇的に楽になる橋を手に入れた。

これと同じように「悪魔と契約を交わす伝説」はどんな文化圏にも見られるが、そのほ

とんどはもっとわずかな被害ですんでいる。

 

(中略)

 

ところで、この「魂を売り渡す」という行為は、何を意味しているのだろう?

おそらく、どんな時代にもどんな文化にも、ビジネスの対象にするのがタブー視される

ことが、確実に存在するということをあらわしているのだろう。契約の対象にするのも、

取引の対象にするのも、売買の対象にするのもはばかられる聖域で、当然、それらの

ことには値段はつけられない。

一方、経済学者にいわせれば、値段のつけられないものなど存在しない。経済学者なら、

聖域に属することは極端に過大評価されているというだろう。

フリードリヒ・デュレンマットの『老貴婦人の訪問』は、まさにそのことをテーマに

書かれた戯曲である。大金持ちとの貴婦人になって生まれ故郷の村を訪れたクレア・

ザカナシアンは、彼女のかつての恋人が死んだら村に一○億を寄付すると村人たちに

持ちかけ、結果的に望むとおりのものを手に入れている。

 

□ どんなにお金を積まれても他人には渡したくないもの

 

あなたの人生には、何があってもお金にはかえられない聖域があるだろうか?

たとえ一◯億積まれても、他人に渡したくない何かがあるだろう?

 

(中略)

 

これらの項目の中には即決できるものもあれば、すぐには決めかねるものもあるだろう。

だが重要なのは、これまで見てきたように、よい人生には「自分の判断の基準となる、

小さく強固な尊厳の輪が必要」だという点だ。

私たちはこの輪を、(a)より筋の通った論理、(b)あなたの人生が脅かされる危険、

(c)悪魔との契約、という三種類の攻撃から守らなければならない。

この章が「尊厳の輪」について扱う最後の章だが、ここで私が取りあげたいのはこの三つ

の攻撃だ。「尊厳の輪」の境界がはっきりしていなければ、魅力的な「取引」やオファ

ーの申し出があるたびに新たに決断をしなくてはならない。

だが、そういうことを続けていると、膨大な時間を無駄にするだけでなく、あなたの

自尊心や評判もだんだんとむしばまれてしまう。自尊心や評判がむしばまれると、

その後に持ち込まれるオファーに対しても抵抗力がなくなっていく。「尊厳の輪」が

できていないと、終わりのない悪循環に陥ってしまうのだ。

 

□ 一万ドルと引き換えに、額に企業名のタトゥーを入れる女性

 

あなたの人生でも、「取引」のオファーを受ける機会にはこと欠かないはずだ。

ハーバード大学教授のマイケル・サンデルは、自署『それをお金で買いますか』の中で、

この五十年間に「取引」が人生のさまざまな領域に入り込んできていると指摘している。

以前は取引の対象にならなかったものが、今では取引されている。

 

たとえば、一万ドル(約100万円)と引き換えに、額の企業名のタトューを入れて息子の

学費を払おうとする女性がいる。自由意志で行なっていることとはいえ、彼女がして

いるのは、以前は聖域だったはずの領域に抵触する行為だ。かつて神聖なものとして

扱われた人間の体を、広告媒体におとしめているからだ。

銀行も、年金生活者の生命保険を商品にして、顧客が早く亡くなれば亡くなるほど大きな

利益を手にしている。こうした例を見ていけば、貨幣経済が以前は聖域だったものに

まで攻撃の手を伸ばしているのがよくわかる。

だが経済の論理によるこの手の悪魔の行為に、法的規制がかかることは期待できない。

「尊厳の輪」への攻撃を防げるかどうかは、あなた自身にかかっているのだ。

 

結論。「尊厳の輪」の境界ははっきりさせておこう。経済の論理によるウイルスを、

あなたの価値基準の免疫システムに入り込ませはならない。

「尊厳の輪」の中にあるものに、交渉の余地はない。どんなときでも、どれだけお金を

積まれても、その基準を変えてはいけない。それらを取引の対象にすれば、悪魔との契約

と同じように、魂を売り渡したことになる。

そして、悪魔と橋を架ける契約を結んだウーリ州の人々のように、魂を売り渡した後も、

無傷でいられるなどということは、実際には滅多にないのだ。

 


 

この続きは、次回に。

 

2024年11月28日

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美

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