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Think clearly シンク・クリアー ㊹-1

44. 専門分野を持とう—-「多才な人」より「スペシャリスト」を目指す

 

□ 「専門知識」が増えるほど、「一般教養」は減るのか?

 

グラフィックデザイナーや、パイロットや、心臓外科医や、人事の責任者として、いま

現役で働いているあなたには、どのくらいの知識量があるだろう?

もちろん、あなたには豊富な知識があるに違いない。あなたの脳はあなたの「専門分野

の知識」でふくれあがっているだろう。

たとえあなたが、まだキャリアを摘みはじめたばかりだったとしても、あなたの知識量は、

すでに過去の先輩たちが持っていた知識を、はるかに超えているはずだ。

あなたがパイロットだったら、学ばなければならないのは従来通りの航空力学やたくさ

んのアナログ計器についてだけではない。毎年登場する新しいテクノロジーやフライト

ルールを頭の中に更新していかなければならない。

あなたがグラフィックデザイナーだったら、フォトショップやインデザインのような

ソフトウェアパッケージだけではなく、過去五○年間の広告デザインのあらましを把握

しておく必要もある。そうでなければ、過去のアイデアを知らずに使ってしまう恐れが

あるばかりか、ライバルたちとの競争についていけなくなる可能性もある。

一年のサイクルで新しいソフトウェアが市場にも職場にも押し寄せ、ソーシャルメディ

アや動画やバーチャルリアリティーなど、クライアントの要求も多様化する一方だ。

 

では、「専門分野以外の知識」はどうだろうか? あなたの知識は、過去の時代に同じ職

に就いていた人たちより多いだろうか、少ないだろうか? おそらく少ないのではないか

と思う。

脳のキャパシティは限られている。専門分野の知識が増えれば増えるほど、一般的な

知識のためのスペースは少なくなるはずだ。

ひょっとしたら、これを読んでいるあなたは、「専門バカ」呼ばわりされているように

感じて憤慨するかもしれない。

「専門バカ」といわれて喜ぶ人はいない。多才な人だとか、多方面に人脈を持つ人だと

かいわれる方が、ずっといい。

私たちは、自分の仕事がどれほど「幅広い」か、顧客のポートフォリオがどれほど「多様」

か、新しいプロジェクトに着手するたびにそれがどれほど「斬新」かを語りたがる。

誰もが、自分を偏狭なスペシャリストとは思いたがらない。

だが、コンピューターチップのデザインから、カカオ豆の売買まで、世の存在するおび

ただしい数の「専門分野」を見渡してみると、広いと思っていた自分たちの知識が、実は

ごく限られた領域でしかないことがわかる。専門分野に関する知識は増えているが、

その専門分野の範囲自体はどんどん狭まっているのだ。

つまり、「専門分野」がゆるやかに増加する一方で、「知らない知識」は爆発的に

増加していることになる。

私たちが生きていくには「その他の専門知識」を持つ多くの人に頼らざるをえないし、

その人たちの仕事もまた、「別の専門知識」を持つ人たちとの連携なしには成り立たない。

自分が使う携帯電話を、ひとりで手早くつくりあげる自信のある人は、おそらくいない

だろう。

 

□ 石器時代は「多才」でなければ生きられなかった

 

地面から生えてくるキノコのように、新たな専門分野は次から次へと現れる。繁殖の

早さは、人類の歴史が始まって以来だ。

数百万年来続く唯一の仕事の区分は、男性は体が大きくて力があり、女性は妊娠・出産

するという、生物学的な事情による男女の役割分担だけになってしまった。

五万年前の先祖がどんな生活をし、どんな仕事をこなしていたかをみることができたら、

私たちはきっとびっくりするに違いない。

当時は、ほぼすべての人が、ほぼすべてのことをこなせていた。石斧デザインや、石斧

製造、石斧マーケティング、石斧カスタマーサービス、石斧トレーニング、石斧コミュ

ニティマネージメントのスペシャリストなどは存在しなかった。石斧を振り回す以外に

何もできない、という人はいなかったのだ。

自分の斧は誰もが自分でつくっていたし、その使い方もきちんと把握していた。

狩猟や採集で食糧を得ている人に「職業」という概念はないからだ。

状況が変わったのは、一万年ほど前に人間が「定住」を始めてからだ。突然、役割の

細分化が始まった。

畜産業者、農夫、陶工、測量技師、王様、兵士、水運び人、料理人、書記など、次々に

職業が誕生し、人々はそれぞれの職業でキャリアを築いて、専門知識を身につけるよう

になった。そして専門分野以外の知識を持つ必要はなくなっていった。

石器時代には、人間は「多才」でなければ生きられなかった。「スペシャリスト」に

生き延びるチャンスはなかった。それが、一年前に逆転したのだ。

いまでは「スペシャリスト」でなければ生きられず、「多才な人」にはチャンスはない。

最後まで多彩な仕事をこなしていた人たち(ジャーナリスでいえば、特に得意分野を

持たずに記事を書く人たち)は、自分の仕事価値が急に低くなるのを目の当たりにしな

ければならなかった。一般的な教養は、驚くほど急速に、利用価値がなくなってしまっ

たのだ。

 

だが一万年など、「進化の観点」から見れば、まばたき程度の時間でしかない。私たち

の脳はいまだに、「多才」でいることに価値があった石器時代のままだ。

そのため、私たちは特定分野の知識しか持たないことに、いまでも居心地の悪さを感じ

てしまう。好むと好まざるとに関わらず、現代に生きる私たちはなんらかの「スペシャ

ルリスト」だが、特定の知識しか持たない自分が、立場の弱い不完全な人間に思えて

後ろめたさを感じてしまう。

たとえば、自分の仕事に十分誇りを持って働いているコールセンターのマネージャーでも、

自分の専門外のことがまったくわからなければ、その知識のなさが恥ずかしく思えて、

「わからなくてすみません、私は一介のコールセンターのマネージャーにすぎませんか

ら」と誤らなければならないような気持ちになる。専門外の知識を持たないのは当然の

ことなのに。

 


 

この続きは、次回に。

 

2025年1月31日

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美

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