Think clearly シンク・クリアー ㊺-2
□ 「競争」に巻き込まれないようにする
軍拡競争が特に激しいのは、「戦場での働き方」においてだ。
同僚が長時間働けば、あなたも後れをとらないように長く働かなければならない。
そうしてあなたは、とっくに労働の生産性がなくなっていたとしても、働きつづけて
時間を無駄にしなければならなくなる。
狩猟採集社会に生きていた先祖と比べると、その差は歴然としている。当時の人々が
働いていたのは週に一五時間から二○時間程度で、残りの時間は余暇だった。
学園のような比率だが、軍拡競争がなければ私たちにも同じことができていたかもしれ
ないのだ。
狩猟採集時代が、人類学者たちから「原初の豊かな社会」と呼ばれているのも無理は
ない。
当時、人間はまだ定住していなかったために、持ち物の数を他人と競い合うことなど
ありえなかった。
遊動民はただでさえ多くの物を持って移動する。弓矢や毛皮や、小さな子どもまで連れ
ている。それ以上荷物を増やしたいと思う者などいるわけがない。
当時の人々が軍拡競争に駆り立てられる要素はまったくなかったのだ。
だが、いまや事情が異なる。仕事に関してだけでなく、プライベートでも気を抜けば
すぐに競争に引き込まれてしまう。
他のユーザーがツイートをする回数が多ければ、置いていかれるようにあなたも頻繁に
ツイートしなければいけない気持ちになる。他のユーザーたちが自分のフェイスブック
のページの見栄えをよくしようと労力を注がなくてはならない。友人の多くが美容整形
を受ければ、あなたも早くきれいにならなければと焦りを感じる。
身につけている服のトレンドやアクセサリーの種類でも、住居の広さや乗っている車の
馬力でも、マラソンやトライアスロンなどといった趣味のスポーツの成果についても、
いまやありとあらゆる社会的な物差しによって同じことができる。
毎年発表される学術研究の数は、二○○万件にものぼるという。一○○年前、アインシュ
タインが生きていた頃には、この1パーセントにも満たない数の論文しか発表されてい
なかった。それなのに、学術的に重要な発見の数はあまり変わっていない。軍拡競争の
影響は学界にも及んでいるのだ。
研究者の給与と昇進は、発表した論文の数と論文が引用された頻度で決まる。
多くの研究者が次々に論文を発表するようになり、またそれらの論文が頻繁に引用され
るようになれば、研究者は全員、そのペースに取り残されないようたくさんの論文を
書かなければならなくなる。だがこれまでは、まだ発表されていない論文のテーマ探し
が盛んに行われているにすぎなくなる。
この軍拡競争で一番の利点を享受しているのは、論文発表の場である学術ジャーナルで
ある。
もしあなたがプロの演奏家を目指しているなら、ピアノとバイオリンは避けたほうが
いいかもしれない。競争がもっとも熾烈な楽器で、演奏家の中でもピアニストとバイ
オリニストは飛び抜けて苦労が多い。そのうえ、毎年アジア出身のすばらしい技能を
持った大勢の新人ピアニストやバイオリニストが世界中のコンサートホールに押し寄せ
てくるため、競争の激しさは増すばかり。
だが、演奏家の少ない楽器を選べば、オーケストラに採用される可能性はずっと高くなる。
あなたの技量が世界レベルに達していなかったとしても、高い評価を受けやすくなる。
ところがピアノやバイオリンを選んだが最後、常にラン・ランやアンネ=ゾフィー・
ムターのような世界的演奏家たちと比較されるだけでなく、あなた自身も自分を彼らと
比較して幸福度を低下させることになってしまう。
結論。軍拡競争に巻き込まれないように気をつけよう。ひとつひとつ軍備を拡張して
いく過程は有意義に思えるので、渦中にいる本人が怒っている事態に気づくのはなか
なか難しい。ときには自分が所属する軍隊から距離を置いて、人生の戦場を俯瞰して
みるようにしよう。
馬鹿げた競争の犠牲になることはない。軍拡競争に勝っても空しいだけで、得られるも
のなどほとんどない。身を引いたほうがあなたのためだ。
よい人生を手にしようと人々が競い合っている場所で、よい人生は見つからない。
この続きは、次回に。
2025年2月6日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美