Think clearly シンク・クリアー 「51」-2
□ 大事なのは「漕ぎ方」よりも「ボートの機能」のほう
同じことは、企業家や経済界の大物に関しても当てはまる。
八○年代にいわゆる家庭用コンピューターが市場を席巻していた頃、そのためのオペレ
ーティングシステムを誰かが開発するのは、必然的な流れだった。その誰かが、たまた
まビル・ゲイツだった。
もしオペーレーティングシステムを開発したのがほかの誰かだったら、ひょっとしたら
その誰かはゲイツほどには経営者としては成功していなかったかもしれないが、それでも、
今日類似のソフトウェアソリューションが存在していたのは間違いないだろう。
スマートフォンにしても、スティーブ・ジョブズがいなければ、外観はいまほど洗練さ
れていなかったかもしれないが、機能はそう変わらないものができていたはずだ。
私の友人の何人かは、企業のCEOを務めている。中には一○万人の従業員を抱える大企
業の経営を任されている友人もいるが、彼らは真剣に仕事に取り組み、ときには疲労困
憊するまで働きながら、きちんとした業績をあげている。それでも彼らは、基本的には
取り換えのきく存在だ。辞めた数年後にはもう、彼らの名前は忘れられてしまうだろう。
また、取り替えがきくだけでなく、企業が突出した業績をあげたとしても、それは
CEOの功績というよりも、市場全体の動向が有利に働いたおかげである場合が多い。
ウォーレン・バフェットは、このことをこんなふうに表現している。「経営者としての
あなたの業績は、あなたの漕ぎ方が効率的かどうかより、あなたが乗っているボード
自体の機能によって決まるところが大きい」。
マット・リドレーは、もっと辛辣な見方をしている。「大抵のCEOは、高い報酬を手に
従業員たちが生み出した波でサーフィンをしている便乗者だ。(中略)メディアによって
つくりあげられた高貴な王族でもあるかのようなイメージは虚像にすぎない」。
マンデラ、ジョブズ、ゴルバチョフ、ガンジー、ルターといった人物や、発明家、さら
に大企業のCEOたちは、「時代の産物」にすぎず、彼らが時代をつくり出したわけでは
ない。もちろん、彼らが重要な局面を自らの裁量で乗り切ってきたのは事実だが、たと
え彼らがいなかったとしても、ほかの誰かが同じようなことをしていたはずだ。
だから誰かを「偉人」として持ち上げるのは控えたほうがいい。そしてもし、あなた自身
がその座にまつりあげられそうになったときには、謙虚でいよう。
○ 「疲労困憊(ひろうこんぱい)」とはどういう意味ですか?
苦しいほど疲れ果てて、弱り切ること。 精も根も尽き果てること。
「疲労」は、疲れ果てること。 「困憊」は、疲れ苦しむこと。
□ もっとも集中すべきなのは、あなた自身の人生
あなたが、何かにおいて突出した成果をあげたとしても、その成果はあなたでなければ
得られなかったというわけではない。きわめて小さい。企業家として、研究者として、
CEOとして、あるいは軍の司令官や大統領として、たとえあなたがどんなに優秀でも、
世界全体の構造から見れば、あなたはさして重要でも不可欠でもない、取り換え可能な
存在でしかない。
あなたが、本当に重要な役割を担っているのは、あなた自身の人生に対してだけだ。
あなたはあなた自身の人生に集中するべきだ。そうすると、自分ひとりの人生をコント
ロールするだけでも重労働なのがよくわかるはずだ。
それなのになぜ、「世界を変える」などといった大それたことをしようとするのだろう?
そんなことをしても、自分自身が失望するだけだ。
もちろん、ときには偶然、あなたが責任ある重要なポジションにつくこともあるだろう。
そんなときには、与えられた役割を完璧にこなすようにしよう。できるだけ、最高の
企業家や賢明な政治家や有能なCEOや才気あふれる研究者になれるよう、努力するのだ。
だが、あなたがその重要なポジションにつくのを全人類が待っていた、などという錯覚
には、けっして陥ってはならない。
私の著書もすべては、時が経つにつれて、大海の中の小石のように世界のさまざまな
出来事の中に沈み込んで行くはずだ。私が死んだら、おそらくしばらくのあいだは、
私の息子たちが私について話すこともあるだろう。妻もときどきは私の話をするかも
しれない。ひょっとしたら私の孫も、少しは私の話をしてくれるかもしれない。
だが、それでおしまい。その後、ロルフ・ドベリという人間は忘れ去られる。
また、そうでなければならない。
自分を重要な人物だととらえすぎないのも、よい人生を手にするための有効な戦略の
ひとつだ。
この続きは、次回に。
2025年3月2日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美