「小さいことにくよくよするな! 」⑰
36. 無邪気さを見つけ出す
他人の行動が理解できないとき、欲求不満におちいる人がたくさんいる。
自分に理解できない行動を「無邪気さの表れ」と取るよりも「いやな感じ」ととらえて
しまう。
イライラさせられる行動—-コメント、行為、意地悪いやり方、自分勝手な態度—–を
やり玉にあげて欲求不満におちいるのは簡単だ。行動のみにとらわれすぎると、よって
たかってみんなにいじめられているような気にさえなる。
(中略)
だれかが腹だたしい行動に出たとき、その行動から距離をおいて「その行動の奥を
見る」ようにすれば、その行動の源となっている無邪気さが見えてくる。
意識のなかでちょっとスタンスを変えれば、相手を思いやる気持ちが湧いてくる。
(中略)
しかし、自分が急いでなにかをするときの感じを思い出せば、彼らの行動の奥に
ある無邪気さが見えてくる。イライラさせられる行動の奥に、わかってくれと叫ぶ
欲求不満の顔が浮かんでいるのがわかる。
こんど(できればいまから)だれかがいやな行動を取ったときは、その裏にある無邪気さ
を探してみよう。思いやりをもてば探すのは難しくない。その無邪気さが見えれば、
同じ行動を取られても前ほどイライラしなくなるだろう。
人の行動にいらだつことが減れば、もっと人生の楽しさに焦点を合わせやすくなる。
○ 無邪気(む‐じゃき)
1. 素直で悪気がないこと。いつわりや作為がないこと。また、そのさま。
2. あどけなくかわいらしいこと。また、そのさま。「赤ん坊の無邪気な笑顔」
3. 思慮に欠けること。また、そのさま。
37. 正しさより思いやり
12番目の戦略でも取り上げたように、人を思いやることと自分の正しさを主張する
ことの二者選択を迫られる機会はたくさんある。
人のまちがいを指摘し、ああするべきだったとか、こうすればもっとよくなると助言
する機会はたくさんある。二人きり、または人の面前で相手のまちがいを「ただす」
機会もたくさんある。それはつまり人の気分を悪くさせる機会、それによって自分の
気分も悪くなる絶好のチャンスでもある。
私たちが相手をけなしたり、ただしたり、相手の非をあげつらったりする理由は、
人のまちがいを指摘すれば自分の正しさが証明されていい気分になれる、という
私たちのエゴからくるまちがった信念のせいだ。
しかし実際には、相手をけなしたあとの自分の気分に目を向ければ、前よりもっと
落ち込んでいることに気づくだろう。人を犠牲にして気分がよくなれるはずはないと
心のどこかでわかっているからだ。
幸いにも、逆もまた真なり—–人を元気づけ、明るい気分にさせ、彼らの喜びを共有
することを目標にすれば、自分もまた明るく積極的になれる。
こんどだれかをただす機会があったときは、その誘惑と戦うことだ。「この人とどんな
人間関係を築きたいのか?」と自問することだ。結局は、気分よくなれる平和な人間関係
を築きたいと、みんなが思っているのだから。「自分の正しさ」を主張する誘惑をしり
ぞけて思いやりを選べば、穏やかで平和な感情に満たされるに気づくだろう。
(中略)
この戦略を気弱な態度とごっちゃにしないでほしい。自分の正しさを主張するのはよく
ないと言っていっているのではない。ただ自分の正しさを主張するなら、代償がつきも
の—–ひきかえはあなたの心の平和—だということなのだ。
穏やかで落ち着いた人になるためには、ほとんどの場合、正しさより思いやりを優先さ
せなければならない。
この練習を始める絶好のチャンスは、次にだれかと話すときだ。
○ 「逆もまた真なり」とはどういう意味ですか?
ある文で示された条件や因果の関係を入れ替えて逆転させても、やはり正しい
(事実として成立する)、ということを述べる言い回し。
「その逆もしかり」とか「逆も真なり」「逆もまた真なり」などともいう。
この続きは、次回に。
2025年6月4日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美