お問い合せ

「小さいことにくよくよするな! 」㉕

53. グラスはすでに壊れたとみなす

 

これは私が20年前に学んだ仏教の教えだ。

このおかげで、ものごとをあるがままに受けとめるという客観的な見方を身につける

ことができる。

この教えの本質は、人生のすべては流転するというところにある。すべてに始まりが

あり、終わりがある。木は種から芽を出し、やがて土に還る。すべての岩は形成されて

は消えていく。いまの世の中でいえば、どの車も機械も衣類も生産されて使い古されて

いく。すべては時間の問題だ。私たちは生まれ、やがては死ぬ。グラスはいずれ

壊れる。

この教えは心の平和をもたらしてくれる。すべては壊れると思っていれば、そうなった

ときも驚いたり失望しないですむ。なにかが壊れてもギョッとするかわりに、それを

もっていた時間に感謝するようになる。

いちばん簡単なのは、水を飲むグラスで練習することだろう。お気に入りのグラスを

出して、しみじみながめてみる。次に、そのグラスが割れて床に飛び散ったところを

想像する。そのとき、すべてのものは崩壊して土に還ることを思い出すようになる。

もちろん、お気に入りのグラスでもなんでも、壊れてほしいと願う人はいない。

これは無気力になるための処方せんではない。ものごとをあるがままに受け入れる

練習だ。

そうすれば「ああ、しまった」と思わずに「ああ、そういうことか」と思うようになる。

その自覚があればなにがあっても落ち着いていられるだけでなく、前よりずっと人生の

味わいが深くなる。

 

□ 流転とはどういう意味ですか?

 

限りなく移り変わること

 

54. どこに行っても自分と道連れ

 

これはジョン・カバット・ジンのすばらしい著書のタイトルだ。文字どおり、人はどこ

に行っても自分と道連れだという意味である。

私たちは、もし、べつの場所にいたら—-休暇中だったら、別のパートナーだったら、

べつの仕事だったら、べつの家だったら、べつの環境だったら—-いまよりもっと幸せ

になって満足するだろうと思い込む。そうはならないって!

ものごとの悪いほうにとる癖—-すぐイライラしたりくよくよしたり、いつも怒ったり

欲求不満にかられたり、ないものねだりをする癖—-があれば、その癖はあなたの行き

先々についてまわる。これを裏返して考えることもできる。

あまりイライラくよくよしないたちであれば、どこに行ってもだれと出会ってもネガ

ティブな考え方には落ち込まない。

 

(中略)

 

人生も自動車のように内から外に向かって運転するものだと認識すると、とてもすてき

なことが起きる。行きたい場所ではなく自分がいまいる場所に意識を向けると、たちま

ち穏やかな気分になる。そうすれば、どこに行っても、だれと出会っても、その穏やか

な気分がずっと持続する。

「どこに行っても自分と道連れ」—-これは真理だ。


 

この続きは、次回に。

 

2025年6月21日

株式が会社シニアイノべーション

代表取締役 齊藤 弘美

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