書籍「Effectuation エフェクチュエーション」 ㉔
✔︎ 「ほとんどの人は受話器を取って電話をかけようとはしない」
最後に、結果が不確実であっても、むしろ不確実であるからこそ、行動を起こすことが
重要であることを主張する、一人の起業家の言葉をご紹介したいと思います。シリコン
バレー歴史協会が所有する映像のなかに、1994年のアップル創業者のスティーブ・ジョ
ブスに対して実施されたインタビューがあります。そのなかで、彼は「ほとんどの人
は、受話器を取って電話をかけようとはしない。そして、それこそが時に、物事をなす
人たちと、それを夢見るだけの人たちを分けるものなんだ」と語っています。
実際には、これは彼の中学生時代のエピソードに基づくものです。12歳当時のジョブスは、
機械などのモノづくりに熱中している少年でした。通っていた中学生でもエレクトロニ
クス・クラブに所属し、メンバーと一緒に撮影した写真も残っています。ある時、彼は
周波数カウンターという機械をどうしても自分で作りたい、と考えていましたが、それ
に必要な部品には、一般の中学生が入手できないものがありました。そこで彼が活用で
きる「何を知っているか」が2つありました。1つは、周波数カウンターを製造している
メーカーの1社が、ヒューレット・パッカード社であり、同社には確実に部品があるだ
ろうということでした。もう1つは、ヒューレット・パッカード社の創業者の一人、
ビル・ヒューレット氏は、お金持ちの有名人だったので、自分と同じパロアルト地区に
住んでいることを知っていたことでした。そこで、家にあった電話帳を彼の名前で引く
と、1件しか該当する番号がなかったので、自己紹介をして、周波数カウンターの部品
を分けていただけませんか、とお願いをしたところ、ヒューレット氏は笑って承諾して
くれて、ジョブズ少年は大いに喜んだ、というのが、上記の発言にある「受話器を取って
電話を掛ける」という逸話です。
ただし、現実の展開はこれだけでは終わりませんでした。ジョブズ少年とのやり取りの
なかで、彼は本当に周波数カウンターが大好きなのだと感じたヒューレット氏から、
今度はもう1つ別の提案がなされました。それは、ヒューレット・パッカード社の周波
数カウンター工場の製造ラインで、夏休みのアルバイトとして働かないか、という問い
かけでした。もちろんジョブズ少年はこれに飛びつき、夢のような夏休みを過ごしたと
言います。さらに、こうした中学生時代に工場の製造ラインのアルバイトとして始まった
ヒューレット・パッカード社との関係性は、高校生になっても、本社のインターシップ
として継続しました。そして、スティーブ・ジョブズが高校時代に出入りしていた同社で、
当時エンジニアとして働いていたのが、スティーブ・ウォズニアックだったのです。
われわれの多くが知っているように、二人は意気投合し、後に共同でアップル・コン
ピュータを立ち上げます。
つまり、彼が先のインタビューのなかで語っているのは、こういうことでしょう。多く
の人は「部品を分けてください」という電話を掛けるという行為は、たわいもないこと
だと感じたり、あるいは厚かましいことだと感じたりといったさまざまな理由から、
実際に実行に移す人は少ないかもしれません。しかし、あの時ジョブズ少年が電話を
かけなければ、おそらくアップルという会社は存在しなかっただろう、と考えられるの
です。
未来は不確実で予測できないため、当初思い描いていた通りには進まないことが多い
一方で、何気ないパートナーとの相互作用が、想像もしなかった展開へとつながる可能
性もまた、未来が不確実であるからこそ十分にあると考えることができるのです。
この続きは、次回に。
2025年12月9日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美

