企業とは何か-⑲
・企業の公益性
第三にGMが本書を斥けた理由が、企業の公益性に関わる考え方だった。
本書は、企業の公益に関わりがあるとし、社会の問題にも関係をもたざるをえないとした。
・『GMとともに』
スローンの『GMとともに』はベストセラーとなり経営書として重要な地位を占めた。
スローンにとって企業とは、その特有の領域、すなわち経済的な機能に専念すべき存在だった。
もちろん今日、それほどまでに自制した考えをもつ者はいない。むしろそのような考えこそが、
この数十年におけるGMの弱みの原因だったとされている。
社会的な地位や評価の低下だけではなく、GMが直面したその他諸々の問題の原因だったと
されている。そのようなGMの考えが、過去40年間に起こったことによって適切ではなかったことが
明らかであるといって、それが裁量かつ自己中心的な間違いだったということにならない。
逆に、それはまことに健全な真面目な考えだった。
権限なきところに責任なく、社会的な責任を自負する企業は、いかに自制しようとも、社会的な
権力を 要求することになるという考えそのものは間違いではなかった。
また、企業に限らずあらゆる組織が、その得意とする能力に限りがあり、その能力を超えた領域では
成果をあげられないという考えも間違いではなかった。
・適切でなくなったGMの考え
われわれは今日、新しい種類の多元社会を迎えている。
この多元社会においても、かつてあらゆる多元社会と同じように、誰が、何について、どこまで責任を
もつべきかは不明である。
しかも伝統的な政治機関、すなわち政府では役に立たない社会的なニーズがあることもあきらかで
ある。ということは、答えはまだわかっていないということである。
ただし、イズム(主義)が答えにならないことだけは確かである。まさにこのような状況の変化を
認めず、自らのあり方や、ほかとの関係、責任、立場について徹底的に検討することをしなかった
ことが、GMのその後の弱みの原因となり、ある意味では経営陣としての責任の放棄を招いたと
いえる。
・従業員政策の失敗
ウィルソンが本書の提言を仕事改善プログラムにまとめようとしたとき、GMとUAWの幹部たちは、
「従業員が欲しているものは金である」として反対した。
オートメーション化の進んだ最新鋭工場だった。生産性、品質ともに世界最高の工場となるはずだった。
賃金も最高だった。だが規律は最悪のものとなった。
当初、新規採用の若年の工員が責任を与えられるべきことを要求した。そして、いかなる責任も
与えられないことが明らかになったとき、生産性と品質が最悪となった。
・傲慢で無神経というイメージ
・再起に向けた戦略
1970年代の初め、ついにGMは経営政策を見直し、いくつかの改革を行った。
1979年には、GMは従業員政策まで変えた。職場改善プログラムに着手し、QCサークルを
組織した。不承不承ではあったが労組まで参画した。
こうしてGMは、今日、グローバル車の開発、国内工場のオートメーション化と海外への非オート
メーション化工程の移転、責任ある労働者と職場コミュニティを目指す従業員政策という三つの
戦略を 手にしている。これらの長期戦略が実を結ぶかはわからない。
しかし、GMが一変するであろうことは 間違いない。
・自動車産業とGMの将来
いかなる企業といえども、自らの産業が成熟期に入ったあとでは、パイオニアたることは至難である。
すでに自動車産業は成長産業ではない。成熟産業化している。
したがって、いかに戦略において成功しようと、GMは今後攻撃的たることはできない。
オートメーション化のリーダーとなることはできる。低賃金国との競争において、リーダーの役を演じる
こともできる。さらには、かつての多国籍企業のような所有権に基づく支配ではなく、設計、マーケティ
ング、品質のコントロールと生産の分業によって、先進国の市場と購買力を第三世界の労働力と結合
させるという、真のグローバル企業にさえ変身するかもしれない。
しかし、GMがいかなるものになるにせよ、工場の現場において、今世紀前半の産業の象徴ともいうべき
あの伝統的な組み立てラインが、遅くとも2000年には歴史の彼方に消えていることだけは間違いない。
この続きは、次回に。