企業とは何か-Appendix①
1.1983年版へのまえがき
本書の初版は1946年に発行された。
何年かごとに版を新たにしている。今回が第六版である。
明らかに本書は、今日の読者に対しても重要なことを述べている。
しかもそれは、初版当時の読者に対してのものとは違う重要なことである。
本書を書いた頃、産業社会は生まれたてであって未知の存在だった。
・新しい体系の確立
今日では、膨大な数のマネジメント書が世に出ている。ただし、今日にいたるも、いみじくも
あの学長がいったように、政治的と経済的は、本書が当時初めて分析した「組織」なる存在を
受け入れられないままでいる。その代わりに
本書が、近代組織の構造、経営政策、社会的人間的側面の組織的研究として、マネジメントなる
体系を生み出した。それ以来、マネジメントは世界中で職業および研究対象として一般化していった。
・自動車産業の成熟化
今日の自動車産業は、本書執筆時とは様変わりして危機にある。
技術と産業のリーダーシップは、知識と情報に基盤を置く産業に移りつつある。
「組織」なる種に属するものはすべて構造を必要といる。
方向づけを必要とする。
そこに働く一人ひとりの人間に対し、位置と役割を与えることを必要とする。
その手にする資源、特に人的資源を生産的にすることを必要とする。
内部において権力関係を整えることを必要とする。そのため、権力と秩序の正統性について
いくつかの原則を必要とする。
実にこれらの問題を最初に取り上げ明らかにしたのが本書だった。
今日の組織社会において、あらゆる「組織」に共通する問題がもう一つある。
それは、社会の「組織」としての機能する必要があるということである。
ここでも、問題の存在を最初に明らかにしたものが本書だった。
今日ではこれらの問題はすべて当然さされている。だが、本書執筆の頃にはすべてが衝撃的と
いってよいほどに新しかった。
・知識労働者の登場
当時アメリカでは、就業者人口のうち高校を出た者は半分以下だった。
今日では半分以上が大学へ行く。当時は、就業者人口の五分の四が農場、工場、鉱山、鉄道建設で
働く肉体労働者たるブルーカラー労働者だった。
今日ではブルーカラー労働者は五分の二へと半減した。2000年には、さらに減り四分の一以下になる。
当時アメリカでは、就業者人口の半数が製造業で働いていた。今日では五分の一である。
2000年には10分の一になる。当時は、知識労働者なる言葉はなかった。
知識労働者とは、肉体の筋力ではなく、学校で習得した知識によって生計の質を得る者である。
今日では、この知識労働者がアメリカの就業者人口の過半を占める。
・アイデンティティのない存在
この階層は、雇用はされていてもプロレタリア(無産階級)ではない。
肉体労働者ではなく知識労働者である。明確なアイデンティティのない政治的、社会的に曖昧な
存在である。今日の先進社会にあっては、彼らをめぐる問題こそが社会にとっての中核の問題である。
彼らの位置づけは何か。社会の権力構造との関係はいかにあるべきか。
・モデルとしてのGM
これからは、主役は大企業とは限らなくなる。
経営のプロによってマネジメントされる企業ではある。
政策、戦略、組織をもつ。すなわちGMと同じ種に属する。
しかしその多くは大きくはない。
明日を担う企業は人間ということになる。
象や鯨はその能力の大きな部分を肉体の大きさから得る。人間はそれを頭脳から得る。
今後製造業は、フィールドバックによるコントロールに重点を移していく。
知識と情報を基盤するオートメーション化に向かう。これに伴い規模の経済が劇的に変わる。
最適の規模とは、最大の適応力をもたらす規模ということになり、最大の重量をもたらす規模では
なくなる。
1983年元旦
カリフォルニア州クレアモントにて ピーター・F・ドラッカー
この続きは、次回に。